天国からリオ戦士と共に 難病と闘い、サッカー応援50年 波多江輝子さん2月他界

西日本新聞

福岡市のレベルファイブスタジアムで当時J2の福岡の試合を視察した手倉森誠監督(右)と波多江さん=2014年4月(前田洋子さん提供) 拡大

福岡市のレベルファイブスタジアムで当時J2の福岡の試合を視察した手倉森誠監督(右)と波多江さん=2014年4月(前田洋子さん提供)

横浜Mの選手だったJ1福岡の井原監督(左)と波多江さん(手前)=1997年5月(前田洋子さん提供)

 難病の筋ジストロフィーと闘いながら日本のサッカーを応援し続けた波多江輝子さん=福岡市中央区出身=が、今年2月に62歳の若さで天国に旅立った。車いすで全国各地に応援に駆け付ける「名物サポーター」として多くのサッカー選手らと親交があり、亡くなる直前まで声援を送っていたチームがリオデジャネイロ五輪に臨む「手倉森ジャパン」だった。リオ五輪開幕に先立って始まるサッカー男子の日本は、5日(日本時間)にナイジェリアとの初戦を迎える。

 ≪これまで積み上げてこられた手倉森Japanのサッカーをピッチに元気いっぱい伸び伸び表現してください≫。1月26日、リオデジャネイロ五輪最終予選を兼ねたU-23(23歳以下)アジア選手権の準決勝イラク戦(ドーハ)。勝てば6大会連続の五輪出場が決まる日に波多江さんは、同代表の池辺友和マネジャーにメールを送った。

 かつてJ1福岡のマネジャーを務め、波多江さんと交流があった池辺さんから文面を見せられた手倉森誠監督は「応援してくれている」と決意を新たにした。2-1で勝利に導き、予選突破も危ぶまれた世代が一丸でリオ切符を勝ち取った。

 生まれて間もなく、筋肉が衰えていく筋ジストロフィーになった波多江さん。1964年の東京五輪で8強入りした日本代表に感動し、65年にJリーグの前身となる日本サッカーリーグが創設されると、同じ病気を患っていた双子の妹博子さん(87年に死去)とともに全国各地で応援に行った。観客もまばらな時代。車いすの“名物サポーター”波多江さん姉妹は当時の監督や選手たちと交流した。

 日本が初めてワールドカップに出場した98年には親交のあった岡田武史氏が指揮を執る日本代表の応援にフランスまで出向いた。「試合などにいつも来てくださった。バイタリティーあふれる行動はやらなきゃという気持ちにさせた」と当時の代表主将でJ1福岡の井原正巳監督は述懐する。

 手倉森監督も双子で、ともにサッカー選手。手倉森監督のJ1仙台監督時代から親近感を持っていた波多江さんはメールで交流していた。一昨年の夏、リオ五輪代表候補の福岡合宿を見学。「選手も頑張っているから」。波多江さんは炎天下で練習試合を見守った。

 約12年前に肺炎を患った影響で声を失った。メールで声援を送っていたのもそのためだ。1月30日の最終予選の決勝は韓国に逆転勝利。テレビ観戦し「久しぶりにわくわくした試合を見たね」。口を動かし姉の前田洋子さんに懸命に伝えた。体調を崩していた波多江さんは決勝後、容態が急変。2月9日、福岡市内の病院で息を引き取った。

 生前、波多江さんは池辺さんにこんなメールも送っていた。≪皆さんの手(足)で日本サッカーの歴史を作ってください≫。「1時間以上はかかったはず」。姉はパソコンの前で、不自由な手で懸命に文字を打つ妹の姿が忘れられないという。成長を見つめ続けた“日本サッカーの母”は五輪の活躍を天国で楽しみにしているはずだ。

連載「青空 あなたの物語」はこちら

=2016/08/02付 西日本新聞朝刊=

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