民謡編<301>子守唄(8)

西日本新聞

 〈ゆりかごのうたを カナリヤがうたうよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ ゆりかごの上に ビワの実がゆれるよ ねんねこ ねんねこ ねんねこよ〉

 福岡県柳川市出身の詩人、歌人の北原白秋が作詞し、1921年に発表した子守唄(うた)「ゆりかごのうた」(作曲・草川信)である。現在でも広く歌われている。

 白秋は明治に入って国策として音楽教育に導入された唱歌に対し、大正時代に一大童謡運動を展開した。唱歌は「文語、教化的な歌」と反発し、「口語的、芸術的な歌」を提唱した。18年、童謡童話雑誌「赤い鳥」を創刊、運動の拠点にした。「ゆりかごのうた」も創作童謡運動の中から生まれた名作だ。

 白秋は42年、57歳で死去する。死を前にした口述筆記で、思いを吐露している。

 「明日をも知れぬ大病人がこういう計画を口にすれば笑われるかも知れぬが…こういう気持ちにならなければ奇蹟(せき)など起こりようもないのだ」

 その計画とは20年来の宿願である、江戸から明治までのわらべ歌、童謡を集めた「日本伝承童謡集成」の刊行だ。白秋が晩年、創作童謡ではなく、伝承童謡に向かったことについてNPO法人「日本子守唄協会」の理事長、西舘好子は次のように分析する。

 「創作童謡運動は芸術的に走りすぎたこともあり、その反省点もあって民衆に歌い継がれた童謡の発掘、収集に力を注いだのではないでしょうか」

   ×    ×

 白秋の死後、弟子たちの努力によって「奇蹟」として形になるのは戦後まもなくの47年のことだ。全6巻(北原白秋編)の中の第1巻目として、全国の子守唄3500編が収録された「子守唄編」が出版された。

 「これこそ日本民族の血脈を象徴するものであると言っても過言ではあるまい。この一巻こそ本集成の根幹を成す」(後記)

 歌詞だけの収録で、譜面や解説はない。歌詞の行間や背景を探ったのが同じ筑後出身の民俗学者、詩人の松永伍一だ。ただ、子守唄のついてのアプローチは白秋と松永では大きな違いがある。松永は子守唄を子守女性の「労働歌」として、白秋は「童謡」として、それぞれ比重をかけている。西舘は言う。

 「白秋は子守唄をわらべ歌、童謡の根にあるリズム、言葉の問題としてとらえようとしたと思います」

 民衆の歌だという点においては白秋も松永も同じだ。切り口が多様にあるということはそれだけ子守唄が奥行きを持った世界ということだ。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/08/22付 西日本新聞夕刊=

PR

連載 アクセスランキング

PR

注目のテーマ