民謡編<315>岸川節

西日本新聞

 佐賀県多久市の岸川地区は天山(1046メートル)の南麓の集落である。現在、78世帯が住み、稲作やミカン栽培などが行われている。ミカンは9月から年明けまでが収穫期で、訪ねたときは最盛期だった。

 区長の田中栄(70)は妻のたみ子とミカンの選別作業をしながら「今年は豊作です」と言った。祖父が明治末ごろからミカン栽培を始めた。田中も3歳ころから高台のミカン山につれていかれ、そこが遊び場でもあった。

 「当時は下から人力で水を運び、ミカンは背負って下りていたようです」

 田中は公務員を定年退職した後、ミカン栽培に専念した。作業の合間に時折、口ずさむのは岸川地区に伝承される農作業歌「岸川節」である。岸川には田中もメンバーである「伝承芸能保存会」があり、毎月2回、定期的に集まり、練習をしている。毎年、多久市で岸川節の全国大会も開かれている。

   ×    ×

 〈ハー 岸川万五郎さんな 腰にやとんこつさげて コシャ ホーイホーイ 足のといこのふしゃ 垢(あか)だらけヨー アラーヤイゴザイ ヤイゴザイ〉

 〈とんこつ〉はタバコ入れ、〈といこのふしゃ〉はくるぶしのことだ。万五郎さんは、くるぶしの汚れを洗うひまもなく、一生懸命に働いた篤農家だった。田中は言う。

 「この民謡は万五郎さんをたたえるもので、別名は万五郎節です。万五郎さんは岸川地区を開墾した人物だといわれています」

 一説には、万五郎さんは500から600年前の人物で、その功績を歌にした「岸川節」は江戸時代に成立した、といわれる。

 「岸川節」は田植えや田の草とりでの作業歌でもあったが、メインの歌の現場は牛馬の餌になる山での飼い葉採りだった。飼い葉は主に栄養価の高い葛(くず)の葉だった。「多久市史」には次のように記されている。

 「カイバ(飼い葉)山への行き帰りや山の仕事をしながら、あちらの山こちらの山で声をはり上げて互いに歌いかわしたのである」

 〈岸川万五郎さんな 働くばかりよ 人に付き合う暇がなかよ ホーイホイ〉

 「岸川節」にはゆっくりしたテンポの野歌とやや早い調子の座敷歌がある。農作業の歌は料亭などの座敷にも広まった。

 牛馬は消え、飼い葉採りの風景もなくなった。しかし、万五郎さんが拓(ひら)いた地を平成の万五郎さんたちが守り、民謡も歌い継いでいる。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/12/12付 西日本新聞夕刊=

PR

連載 アクセスランキング

PR

注目のテーマ