民謡編<317>民謡サークル(下)

西日本新聞

 福岡県糸島市の民謡サークル「深江民謡」の最年少は、代表の加茂真規子(72)の孫である小学6年生の岩坪大晟(11)だ。加茂がターちゃんと呼ぶ大晟は「音程がほとんどぶれない」と評価する民謡少年である。サークル仲間も「上手だ」と一目置く存在だ。

 加茂が大晟の才能にきづいたのは、まだ幼稚園に入る前だった。公民館でのサークルの練習には必ず、大晟を連れていった。大晟は練習が終わるまで、部屋の隅で、おとなしく一人遊びするのが常だった。民謡を意識することもなく、まして歌に参加することもなかった。

 「でもね、歌は耳から入ってきて自然に覚えてしまう」

 ある日、加茂は民謡の先生から「節回しが違う」との指摘を受けた。その箇所を家で繰り返し練習していた。どうしてもうまくいかない。それを見ていた大晟は「ばぁば、それは違うよ。そうじゃない」と言った。加茂は「じゃ、ターちゃん、歌ってみてよ」と言うと、大晟は先生の節回しで見事に歌った。公民館で聴いていた大晟の体に先生の調べが染み込んでいたのだ。

 加茂は大晟が泊まりに来ると子守唄(うた)代わりに宮崎の民謡「日向木挽(こびき)唄」を何回も歌って寝かせつけた。

 幼稚園教諭から相談を受けたこともあった。

 「大晟君が変な歌を歌っています」

 大晟は民謡を口にしていた。それを民謡だと教諭がわからなかった。

   ×    ×

 大晟は小学校に入るとサークルで歌うようになった。小学4年生のときに郷土民謡協会九州大会の少年少女の部で優勝した。九州代表として全国大会に出場した。歌ったのは加茂の十八番であり、大晟が小さいころからそばにあった「日向木挽唄」だった。

 この連載の中で紹介した佐賀県太良町の民謡少女を民謡へ導いたのは祖母だった。大晟もまた、祖母によって道筋をつけられた。祖母の世代は、民謡は古いもの、恥ずかしいものといった感覚はなく、身近な歌謡だった。最後の民謡世代ともいえる。孫の面倒をみる中での歌遊びが民謡少年、少女を生み出す一つの形になっている。ただ、そうした少年少女も十四、五歳になると民謡から離れていくケースも少なくない。

 大晟は「将来は医者か、歯医者になりたい」と言った。加茂は「ずっと民謡を続けて、伝承してもらいたい」と見守っている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2016/12/26付 西日本新聞夕刊=

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