【きょうのテーマ】菅原道真伝説 なぞに挑む 時代の中でさまざまに変化

西日本新聞

 ●「怨霊」から「学問の神」へ

 受験シーズンですね。積み重ねた努力をひと押しして、合格させてくれそうな「学問の神様」が太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に祭られている菅原道真(845~903)です。

 でも知っていますか? 「天神様」になる前の道真が恐ろしい「怨霊」だったということを。人間・道真はなぜ怨霊とされ、そしてありがたい神様になったのか。こども記者が歴史ミステリーに挑みます。

【紙面PDF】菅原道真伝説 なぞに挑む 時代の中でさまざまに変化

 ▼詩ににじむ人柄

 道真の門弟・味酒(うまさけ)安行から数えて42代目の子孫で、太宰府天満宮文化研究所主管の味酒(みさけ)安則さん(63)に話を聞いた。志垣大和記者は味酒さんに「道真公はどんな人物だったのか」と尋ねた。味酒さんは道真の漢詩「寒早十首」を引用し、「誰よりも早く寒さを感じる、貧しい民の姿を題材にしている。困っている人を放っておけない優しい人柄が伝わる」と答えた。

 味酒さんは「道真公が生きた平安期は“平安”とはほど遠い時代だった」と語り、密教の影響で肉食をやめたことで体力が低下したところに大陸から赤痢など未知の疫病が持ち込まれ、日本人の平均寿命が40歳ほどに落ち込んだことを紹介。堀本祐良(ゆら)記者は「子どもの多くは3歳まで生きるのがやっとだった。5歳、7歳と生きたことへの感謝が七五三参りを生んだ」と考えた。

 社会も乱れた。役人を買収して税を逃れる人が増え、国の財政は傾いた。その一方で、富を蓄え権力を握ったのが藤原氏だった。

 ▼藤原氏のねたみ

 「世の中を正そうと宇多(うだ)天皇は知識や学問を国造りの柱にし、優れた文人で日本と中国の文化や制度に詳しい道真公を重用した」と味酒さんは説明。道真は財政や外交に優れた政治力を発揮し、醍醐天皇にも信頼され、左大臣藤原時平に次ぐ右大臣の位にまで出世した。道真をねたんだ時平は、醍醐天皇に「道真は自分の娘と結婚した斉世(ときよ)親王(醍醐天皇の異母弟)を天皇にし、あなたの地位を奪うつもりだ」と中傷。真に受けた醍醐天皇は道真に大宰府行きを命じた。味酒さんの「大宰府は海外の窓口で重要な役所だったが、これは事実上の流刑。最も重い刑罰だった」という言葉に、中西蓮記者は「道真の時代が来て藤原氏の時代が終わることを時平は恐れたのだ」と感じた。

 志垣記者の「大宰府での役職は?」という問いに味酒さんは「何もしていない。道真公の漢詩『不出門(もんをいでず)』にある通り、謹慎して家を一歩も出ることなく孤独の中、59歳で亡くなった」と答えた。堀本記者は「さぞやつらい日々だっただろう」とその最期に心を痛めた。

 ▼背景に御霊信仰

 道真公が没した年、都では雷が多かった。「京の人々は『道真公が雷神となり戻ってきた』とうわさした。雷神は悪神、荒ぶる神だ。うわさが広がった背景に御霊信仰があった」と味酒さんは解説した。

 当時、罪無くして死に追いやられた貴人は「御霊」すなわち「怨霊」になると信じられていた。道真追放に加わった者が次々と死に、宮中にまで落雷があった事実が「雷神道真」の姿に真実味を与えた。

 堀本記者が「どうして道真公は雷神から天神になったのか」と聞くと、「実は道真公の姿は時代の中でさまざまに変化している」と味酒さんは答えた。

 都では恐れられた雷神は農村では雨を呼び、作物を実らせる恵みの神であった。中西記者は「稲妻という言葉があるように雷と稲作は結び付きが強い。道真は天の神、天神になったのだ」と気付いた。

 こうして道真は雷神からまず農耕の神(平安時代)となり、正直の神(鎌倉時代)、連歌や茶道の神(室町時代)などに姿を変え、江戸時代に入ると学識豊かな聖人というイメージが定着する。道真は寺子屋のシンボルとなり、「学問の神様」として広く信仰を集めていく。

 取材を終えてこども記者たちは、味酒さんから聞いた道真の姿を思い浮かべながら本殿に手を合わせ、祈った。「どうか原稿がうまく書けますように」-と。

 ●「怨霊伝説」のあらまし

 中西記者は味酒さんに「道真の死後、都にどんな異変が起こったのか」と聞いた。

 道真の死から6年後、藤原時平が39歳の若さで病死する。言い伝えでは僧が病床の時平の回復を祈っていると時平の両耳から青龍が現れ、祈りをやめるように告げた後、時平は息絶えたという。

 その後も、道真をわなにはめた人々やその親族に怪死や病死が続く。道真追放の中心人物の一人、源光は狩りをしていて「底無し沼」に馬ごとはまってしまう。「死体もあがらない悲惨な最期だった。道真をおとしいれた人々の大部分に不幸が訪れたと考えられる」と味酒さんは語った。

 都では干ばつや大水など天災が相次いだ。醍醐天皇は道真の霊を鎮めようと再び右大臣の位を贈ったが、930年に宮中清涼殿への落雷で大納言藤原清貫らが死亡。醍醐天皇はショックで寝込み、この年に没する。

 味酒さんの話を聞いた志垣記者は「心の優しい道真が怨霊となったのは自分のうらみではなく、民のことを考えない貴族たちに報復するためだったのかもしれない」と考えた。

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=2017/01/14付 西日本新聞朝刊=

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