民謡編<318>ゴッタンの世界(1)

西日本新聞

 1枚のLPレコードがある。1978年にCBSソニーから発売された「ゴッタン-謎の楽器をたずねて」だ。ゴッタンは南九州独特の民俗楽器である。三味線の皮の部分が板になっていることから箱三味線、板三味線とも呼ばれる。材料は杉で「大工が作る楽器」ともいわれ、安価なことから庶民の楽器として一時期、広く地域に普及していた。その代表的な奏者が荒武タミ(1911~92)である。

 このレコードはそのタミが残した唯一の音盤だ。タイトルは「荒武タミの世界」と読み替えることができる。ゴッタンを弾きながらの、民謡や語り物が収録されている。音曲だけでなく、インタビューに答える形で、タミのゴッタン人生の語りも挿入されていて、ドキュメンタリー性格も兼ね備えたアルバムに仕上がっている。タミは語る。

 「五つのときに目が見えなくなって、七つのときに父が死んで、目が見えないから13歳のときに母が日雇い仕事をしながら三味線の稽古をさせてくれた…母は16歳のときに死んだ…」

   ×    ×

 アルバム制作のきっかけになったのは77年、国立劇場で企画された「日本音楽の流れ-三弦」の中での演奏だった。謎の楽器、ゴッタンがベールを脱いだ瞬間でもあった。日本の民族音楽研究の大家である小泉文夫はアルバムのライナーノートの中で、次のように記している。

 「荒武さんのゴッタンの伴奏による歌は、実に変化に富んでおり、一曲ごとに技巧も構造もちがって、しかもそれぞれに美しい」

 「沢山のレパートリーを記憶する際に、各曲のそれぞれが持つ独特の表現を、正確かつ適切につかんで、それが何時でもすぐにとり出せるということは、正(まさ)に驚くべき芸術家の証拠だ。日本の歴史では特に、盲目の音楽家が果たした役割は大きい」

 小泉はタミの歌を「実に変化に富んでおり」と指摘している。それ以上に目が不自由で、10代で両親を亡くしたタミの人生そのものが変化に富んだものだった。

 口減らしのため子守奉公にも出た。盃(さかずき)一杯の米をもらうため家々を回って門付けをした。差別的な言葉も受けた。そうした中でもタミはゴッタンと歌を手放すことはなかった。むしろ、そういった苛酷(かこく)な逆境こそがタミの芸を育てたともいえる。タミにとって、ゴッタンと歌は生きてゆく術(すべ)であり、糧だった。

 タミとゴッタンの世界に触れてみたい。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/01/16付 西日本新聞夕刊=

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