<52>亡き兄の「レシピ帳」手に再出発 行徳家(福岡市南区)

西日本新聞

「できればメニューも増やしていきたい」と語る行徳稔さん 拡大

「できればメニューも増やしていきたい」と語る行徳稔さん

福岡市南区野間4の4の35。しょうゆラーメン650円。塩ラーメン700円。営業時間は午前11時半~午後3時、同6時~翌0時。定休日は火曜日(19日は臨時休業)。092(542)1115。

 福岡市南区にある「行徳家」。連載37回目(昨年4月21日付)では、しょうゆ、塩味を軸にさまざまな創作麺を作り続ける行徳貴さんのラーメン人生を紹介した。和食、洋食の料理人を経験し「遠回りしてよかった」と語ってくれた行徳さん。まさかその5カ月後に訃報を聞くとは思ってもみなかった。

 「大将が入院した」。常連客の一人からそう聞いたのは掲載日の前日だった。行徳さんのブログをのぞくとこうあった。〈開店時間にシャッターを開けると立ち眩(くら)みがしていきなり多量の吐血〉。

 約2週間後に店は再開したものの、休みをはさみながらの営業を強いられた。その状況を見かねた行徳さんの弟、稔さん(43)はある日、店の手伝いを申し出た。「兄貴から『ありがとう。おまえが行徳家をやるならレシピ帳を渡す』と言われた。でもなかなか渡してくれないんです」

 その後も行徳さんは入退院を繰り返し、6月下旬以降は店を開けられない日が続いた。そして9月29日、稔さんのもとに兄から連絡があった。
「レシピを取りに来て」-。

 自宅で受け取ったのは、表紙に「行徳家」と書かれた手のひらサイズのメモ帳。塩、しょうゆ、創作麺、ギョーザのたれにいたるまでの作り方が約70ページにわたって記されていた。「死を予感してたからでしょう」。行徳さんは翌朝、救急車で運ばれ、帰らぬ人となった。肝不全。45歳だった。

    □   □

 「兄貴のラーメンがなくなったら、兄貴が本当にいなくなってしまう気がして。それが寂しかった」。最後まで手放そうとしなかった兄のレシピ帳を手に、稔さんは店を継ぐことを決意した。

 経営していた自動車販売店は一時休業。かつてのスタッフ、市内で「ラーメン海鳴」を経営する親戚の助けを借りて、味の再現に乗り出した。「近づいたと思ったら、次は離れる。ラーメンは奥深い」と言う。時折、今も残っている行徳さんが作ったたれで味を確認しながら改良した。

 オープンにこぎ着けたのは12月18日。再開を待ち望んでいたファンの中には、稔さんのラーメンを食べて涙を流した人もいた。「こだわりがすごいから仕込みも多くて大変。でも喜ばれるために手間暇を掛ける。兄貴の職人魂が分かった」

 取材を終え、塩としょうゆの2杯を注文した。塩は魚介の風味を感じつつ、柔らかな口当たり。しょうゆも香ばしさがありながらどこか優しい。行徳家の味だった。

 店を出ると新調した看板に行徳さんの写真が掲げられているのに気付いた。「兄貴は文句を言いそうですけどね」と稔さん。新たなスタートを行徳さんも見守っている。 (小川祥平)


=2017/01/19付 西日本新聞朝刊=

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