語る・新 青春の門 五木寛之さん<2>筑豊への思い 働く者、民衆の「共和国」

西日本新聞

 終戦後、外地(朝鮮半島)から引き揚げてきた筑後地方は、豊かな中農地帯です。引き揚げっていうのは今で言うと難民。「歓迎されざる難民」として帰ってくる訳ですから、それは大変ですよね。そういう時、とても豊かな中農地帯の筑後にいて、筑豊地方にアルバイトとか茶の行商で行ってみると、周りが流れもん(流れ者)も少なくなかったんですよね。

 先祖代々筑豊に住み着いてここでずっと暮らしてきました、という人たちは「豊後百姓」などと言われてどっちかっていうと粗末にされてきたんです。明治の開発期に財閥や国が農民たちを追い出して開発を進めていくわけです。日本のエネルギー源として。筑豊は、全国から集まってきた人のつくりあげた働く者の「共和国」というか、そういう土地柄なんですよ。

 相互扶助とか働く者の共感とか。「しょうゆ貸して」って言われれば、「じゃあ漬けものを貸すか」って言うような、そういう感じの中で暮らしている。こっち(筑豊)に引き揚げてきた方が楽なんじゃないかって思いました。筑豊のそういうダイナミックな民衆の共和国のような風土っていうのが、やっぱり自分にとってぴったりきたのです。

 閉山になって、筑豊から炭鉱がなくなった。それはある意味で言うと、昔の姿に戻ったということなんであって、そのことをセンチメンタルに嘆いたりしてもだめなんですよね。

 僕は外務省の仕事で南米とかドイツとか、かつての炭鉱労働者が集団で移住しているような所に行ったことがあります。そこで働いている、かつて筑豊にいた人たちに「筑豊が懐かしくないですか」と聞いても、「全然懐かしくなか」と言うんです。つまり「ぼた山のあるところは全部ふるさとたい」っていうそういう感じです。

 落地成根(らくちせいこん)と言って、タンポポの羽のように飛んでいって地面に落ちる、落地。「働く者のいる所が自分たちのふるさとだ」という、こういう感覚が、僕は筑豊として正しい伝統だと思います。

 だから、ぼた山が消えたってことをセンチメンタルに嘆くっていう気持ちはないんですよ。人間が問題なんです。そういう人々がつくる、労働者、働く者たちの共和国、そういうものはどこに行ってもあるんです。

 働く者たちの連帯感とか、そういう気風っていうのが筑豊の中に流れているんですよね。家柄とかそういうものは別にどうでもいいみたいな。そういう気風が非常に僕には憧れの的でしたね。

 昔、出版社で徹夜している時、すし店の出前を届けてくれた男の子がいました。集団就職かなんかで来たんだろうと思いますけど、「五木さんですか?」と。「そうだよ」って答えたら、「僕は筑豊の出なんですけど、九州のどこって聞かれた時には『福岡です』と答えていました。何となく言いづらくて、筑豊って言ったことがなかったけど、青春の門が話題になるようになって、『筑豊です』って胸を張って言えるようになりました」って言ってくれたんです。

 すごくうれしかった。文学とか文芸とか関係ないんですけど、そういう少年が「筑豊の出身です」って得意げに言えるようになるっていうのが、すごくうれしかったですね。

=2017/01/26付 西日本新聞朝刊=

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