民謡編<320>ゴッタンの世界(3)

西日本新聞

 南九州の特異な民俗楽器、ゴッタンはいつごろ生まれたのか。定説はない。確かなことは三味線の改良型であることだ。

 中国の楽器、三弦が交易の盛んな琉球王朝に伝来したのは、一説には室町時代、といわれる。それが三線(さんしん)、三味線に改良されていく。江戸幕府がスタートしてまもなくの1609年、薩摩藩は琉球を支配下に置いた。いち早く、伝わったはずだ。

 この流れを受けた形で、鹿児島市の元鹿児島大学教授(比較民俗学)、下野敏見(87)はゴッタンの誕生を推論する。

 「社会が比較的安定した江戸時代の初期ごろではないでしょうか」

 三味線は当時、まだ珍しい楽器だけに庶民にとっては高嶺(たかね)の花だった。それを安く、手軽に、我流で製作するのは庶民の知恵、工夫である。下野は「昔の人はみな、今、考える以上に大工でしたから」と言う。取材の旅の中で立ち寄った骨董(こっとう)品屋の女性主人(80)はこう話した。

 「うちのお母さんは一升枡(ます)や重箱に板を張って胴にして、割った竹の棹を通してゴッタンを自分で作っていました。弦は釣り糸でした」

   ×    ×

 ゴッタンは伴奏楽器である。主は歌謡だ。歌のない場では普及、発展はしにくい。下野は言う。

 「薩摩の人は一見、剛直にみえて明るく、それが歌につながりすい。庶民の間から土着の民謡が生まれ、それがゴッタンと一にして発展していったのでないでしょうか」

 江戸時代は趣味、娯楽の時代の始まりでもあった。日本歌謡の歴史の中で、近世は民謡など歌謡が花開いた時代だった。こうした歌謡の時代を大きな背景にして、薩摩人の気質、そして杉材との出合いなどがセットになってこの土着的で異色な楽器を生み、育てていくことになる。

 霧島連峰などの山々には豊富に杉の木があった。よりよい音と形を求めて大工たちの手も入り、おもちゃや遊び道具としてだけでなく、本格的な楽器として進化、規格化されていく。鹿児島県曽於市財部町のゴッタン製作の第一人者、平原利秋(80)は「堅い木はいい音がでない。やわらかい杉が一番だ」と言う。

 共鳴箱である胴を皮張りではなく、板張りとして定着したのは単に安価なだけではなく、その音そのものに響き合う暮らしがあったのではないか。三味線のような高音は出にくいが、素朴でやわらかい音は生活の炉辺にふさわしい。三味線を街中の花柳界の座敷楽器とするなら、ゴッタンはまさにつつましい村人の生活を映した楽器ともいえる。

 ゴッタンは現在、忘れられた楽器になりつつあるが、「なにがなくてもゴッタン」といわれたように歌だけでなく、人生の伴奏楽器だった。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/01/30付 西日本新聞夕刊=

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