佐世保港と長崎港 対決!長崎vs佐世保(4)

西日本新聞

 軍港として成長した「佐世保港」と外国との交易で栄えた「長崎港」。二つの海の玄関口は、異なる顔を持つ都市が歩んできた発展の歴史と重なる。

 海の玄関口 発展築く

 長崎県佐世保市の弓張展望台から見渡す佐世保港には、海上自衛隊や米海軍の艦船が並ぶ。港口が狭く湾内が広い天然の良港を持つ佐世保市は、1889年の日本海軍佐世保鎮守府開庁以来「海軍さんの港まち」として開発が進んだ。

 佐世保史談会の中島真澄会長(76)は「中国や東南アジアに近く未開の土地だった当時の佐世保。鎮守府を置く適地として海軍は佐世保の可能性を見いだしたのだろう」と話す。佐世保は1902年、村から一気に市に昇格。市中心部の直線の道路やれんが造りの倉庫などは、海軍による街づくりの歩みを色濃く残す。

 チョージくん 「100年以上の歴史がある建物や設備が現役で使われているとはすごかね!」

 ゴトーちゃん 「港を中心に当時の最先端技術で近代化が進んだとよ」

 昨年4月には旧軍港都市とともに日本遺産に認定され、海から艦船や基地施設を臨む「軍港クルーズ」も観光客の人気を集める。今年は市制115周年。基地だけでなく商業施設やクルーズ船の入港でにぎわいを増す海岸線は新たな佐世保の歴史を刻んでいる。

   ◇   ◇

 佐世保港が軍港としての産声を上げる340年ほど前に時を戻す。ポルトガル船が平戸に入港した1550年は長崎県にとって「開港元年」だろう。その後、西海市の横瀬浦、長崎市の福田、南島原市の口之津と次々に開港。71年についに長崎港が開かれた。

 それまで長崎のまちは人口が千人くらいしかいない寂しい漁村だったが、開港をきっかけに歴史の表舞台に登場することになった。現在の万才町の周辺に貿易のための町が6カ町つくられ、港湾機能が高まり、ポルトガル貿易港として急速に発展を遂げていった。

 元長崎市立博物館長で近世の郷土史に詳しい原田博二さん(70)は「良い港を探すため、中国船がポルトガル船を案内して県内を回っていたようだ。長崎は中国大陸とは切っても切れない縁がある」と語る。長崎港は横浜や神戸と並び、幕末の“第2の開港”をした5都市にも名を連ねる。

 チョージくん 「昔から、長崎は最先端の場所やったってことやね!」

 ゴトーちゃん 「今年で開港446年かあ。長い歴史があるんやねぇ~」

=2017/01/11付 西日本新聞朝刊(長崎)=

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