外国人バー街と丸山花街 対決!長崎vs佐世保(6)

西日本新聞

 米兵たちでにぎわう佐世保市の「外国人バー街」と遊女の姿で華やいだ長崎市の「丸山花街」。米国と日本の文化が今も残る両市の歓楽街対決だ。

 異国薫る 夜の社交場

 老舗バーには古びた米ドル札や、米艦船の写真が飾られている。アルファベットのネオンサインが並ぶ外国人バー街。米海軍基地がある佐世保ならではの風景は、米兵たちから「セーラータウン」と親しまれる。

 朝鮮戦争やベトナム戦争で多くの米兵がいたころは200以上の店が軒を連ねた。基地の縮小などで米兵は減少。だが、一杯ごとに料金を支払う異国ならではのシステムが、観光客にも人気を得ている。

 ゴトーちゃん 「若い女性でも行きやすかとよ。『はぶ酒』が名物のバーもあるけん、初めての人は挑戦してみんね」

 チョージくん 「とぐろ巻いたヘビが入っとる! きつそうやねぇ」

 最近では若い店主も増えてきた。老舗バー「アフター5」を昨年引き継いだ苅住新(かりずみあらた)さん(34)は「店ごとに違う雰囲気も魅力。飲み歩きながらお気に入りの店を探してみて」。カウンターの米国人客と酒を酌み交わしながら佐世保の夜は更けていく。

   ◇   ◇

 華やかな衣装を身にまとい、琴や三味線などにもたけていた長崎の遊女。多くの町民や上方の商人が旅館を兼ねた遊女屋を訪れたという。長崎の丸山は江戸の吉原や京の島原と並び、日本三大花街と呼ばれた。

 港町として栄えた長崎市では、ポルトガルなどと貿易を続けるうち、遊女屋が増え、1642年、幕府の命令で花街が生まれたとされる。海外貿易港として絹や布が安く取引されたため、きらびやかな女性の衣装が出回り、長崎の遊女の衣装は「天下一」と評されるほどだった。最盛期には約100軒の遊女屋が並び、千人以上の遊女がいたという。

 チョージくん 「オランダや中国からのお客さんも多かったとよ。遊女への贈り物も豪華やったとさ」

 ゴトーちゃん 「赤や青色の衣装はすごかね。人気があった理由もうなずけるわ」

 1957年に売春防止法が施行されると、遊女は姿を消した。だが、料亭や唄に合わせて踊りを披露する長崎検番などが当時の文化を今も受け継いでいる。長崎市丸山町で料亭青柳を営む山口広助さん(46)は「検番のちょうちんや三味線の音色に耳を傾け、当時の香りを感じながら丸山を歩いてほしい」と語る。

=2017/01/13付 西日本新聞朝刊(長崎)=

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