藩主が愛した進取の酒 醸し人物語(4)

西日本新聞

 1860年3月、酒蔵の白梅は満開だった。一陣の風とともに、花びらがはらりと仕込みの桶(おけ)に舞い降りる。その酒からはかつてない芳醇(ほうじゅん)な香りが漂い、献上を受けた10代藩主鍋島直正公はその場で一筆したためた。「年々にさかえさかえて名さえ世に香りみちたる窓乃梅が香」-。

 直正公の和歌から命名されたのが「窓乃梅酒造」(佐賀市久保田町新田)。この逸話、単なる物語ではなく「伝統の技術と研究熱心な精神」の象徴なのだと、13代目蔵元、古賀醸治さん(68)は捉えている。

 「窓乃梅」誕生前年の1859年。8代目文左衛門は現在の兵庫県西宮市で先進の酒造りを学んだ。醪(もろみ)の仕込みで加える「掛米」だけでなく、麹(こうじ)米にも精白米を使う「諸白(もろはく)仕込み」を佐賀でいち早く取り入れ、造られたのが藩主への献上酒だった。

 「文左衛門の技術が佐賀の酒造りの転換期になり、酒質向上につながっていった」。蔵には、文左衛門が記した技術書「西之宮土産」が大切に受け継がれている。

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 前身の「寒菊酒造」が創業した元禄元(1688)年から約330年。県内最古の蔵の後継ぎとして育った古賀さんは東京農大農学部醸造科に進み、22歳で蔵に入った。

 最初は福岡県の北九州や筑豊地区で営業を経験。一升瓶10本入り、重さ33キロになる木箱を肩に担いで酒屋を回った。水泳やラグビーで鍛えた体力には自信があった。今でも右肩にはたこが残る。

 1992年に社長に就任。常に「伝統」を意識していた。2003年からの一時期、江戸時代から伝わる木桶を使った純米酒の仕込みを約40年ぶりに復活させた。「若い蔵人にも酒造りの神髄に触れてもらいたかった」という。

 同じくラグビーで鍛えた長男の酵治さん(34)が04年に入社。若い感性に託した新シリーズは、県内では珍しい超辛口にも挑戦。薄味になりがちな辛口に、麹の種類や管理の工夫でこくを出した。その銘柄は「文左衛門」。原点を思う心をラベルに込めた。

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 佐賀県酒造組合の会長に就いた12年からは県全体を見据えたブランド力や技術の向上に注力。酒造りが盛んな高知や山形の工業技術センターから職員を招いて研修会を開き、県内の杜氏(とうじ)や蔵人が先進技術に触れる機会をつくっている。

 県が「日本酒で乾杯を推進する条例」を制定した13年には、県産日本酒で一斉に乾杯する「1万人で乾杯プロジェクト」を開始。日本酒ファンを広げ、15、16年に目標の1万人を突破した。「東京でも『佐賀の酒はどこを飲んでもおいしい』と言ってもらえるまでになりました」

 醸造の「醸」、発酵の「酵」を代々名に持つ老舗蔵元の進取の精神が、佐賀の酒造りを牽引(けんいん)する。

 ◆記念の「一献」 1981年の福岡国税局酒類鑑評会・吟醸酒部門で、窓乃梅酒造初の局長杯を受けた「大吟醸香梅窓乃梅」です。吟醸香とバランスのとれた柔らかなうま味が特徴。長男の酵治が生まれる前年の酒で、保存しておいて酵治の結婚式で乾杯しました。

 第5回「父の背 追う“学生杜氏”」

=2017/01/08付 西日本新聞朝刊(佐賀)=

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