珠玉の一杯にいざなう 醸し人物語(6)

西日本新聞

 ついつい、杯が進む。時間はすでに午前3時。「もう少し、話してもいいですか」。目をらんらんとさせ、語りに語るのは和装の店主、渡辺岳夫さん(41)。薦めた酒にまつわるエピソード、酒蔵の苦労話が出るわ出るわ…。

 ここは和酒専門のバー「傳庵(でんあん)」(佐賀市大財1丁目)。8畳ほどの小上がりに長細い机が2卓並び、土間にはテーブル代わりのいろりが一台。県産酒を中心に各地の地酒と焼酎を各約50種そろえる。メニューはなく、客の好みに応じて店主が選ぶことも。軽妙な“講義”を楽しみにする常連客も多い。

 傳庵の前身「伝酒庵」は市内の酒類販売店が古い旅館を改装して2004年に開店。07年から従業員として1人で切り盛りしていた渡辺さんが16年12月に独立、オーナーとなり、看板を変えた。

   ◇   ◇

 早熟な少年だった。故郷の岡山県倉敷市で中学生の時、俳優トム・クルーズさん主演の映画「カクテル」を劇場で見て、バーテンダーの生きざまや酒が醸す華やかな世界に憧れた。佐賀大理工学部に入学した後も居酒屋やバーのアルバイトに明け暮れた。一回り上の同僚や客に、酒のたしなみや人付き合いを学んだ。

 就職した北九州市の浄水器メーカーは2年で辞めた。佐賀市に戻り、バーの開店資金を工面しようと酒店で働いた。32歳で伝酒庵を任されたが、安酒で悪酔いした経験から日本酒は好きではなかった。

 仕事と割り切ろうと思っていたところ、人生を導く「一献」との出合いが訪れる。小松酒造(唐津市)の「万齢」。純米吟醸、無ろ過生原酒。すうっとした口当たり、広がるうまみに心酔した。「日本酒がこんなにうまいとは」

 県内外の蔵開きや試飲会に足を運び、専門書を読み込んだ。勇んでうんちくを披露すると、通の客には「生半可な知識だ」と一蹴された。閉店後、悔し涙をこらえながら調べ直したこともある。

 酒造業界の区切りを示す醸造年度の初日が、誕生日と同じ7月1日と知れば「何かのおぼしめしか」と高揚した。

   ◇   ◇

 15年11月、佐賀市内であった日本酒イベントの後、十数人の蔵元たちが店に集い、宴が始まった。居合わせた客も杯を重ねて語り合う様子に、ようやく店が認められてきたんだなと感じ入った。

 「佐賀の酒は濃醇甘口といわれるが、全国に通用する辛口もある。蔵元の挑戦で味も多彩になってきた」。日本酒の幅の広さを知ってほしくて4割ほどは県外の酒も置く。

 傳庵という店名は、前身の伝酒庵からあえて「酒」の字を外した。「一滴には造り手の思いやその土地の気候、風土、歴史とあらゆるものが凝縮されている。それも全て伝えたいから」。珠玉の一杯にいざなう水先案内人は、語りで人を酔わせる。

 ◆入門のための「一献」 日本酒を飲み慣れない人には「天吹 純米吟醸 雄町 生」(天吹酒造、みやき町)を薦めます。ナデシコの花酵母を使ったやや甘口の酒で、注ぐと香りが広がります。若者が「日本酒はこんなにおいしかったんだ」と喜んでくれました。

 第7回「『楽しい時間』売る店に」

=2017/01/11付 西日本新聞朝刊(佐賀)=

佐賀県の天気予報

PR

佐賀 アクセスランキング

PR

注目のテーマ