「郷土で錦を飾るため」 醸し人物語(12)

西日本新聞

 故郷に錦を着て帰ることを願う前に、郷土を錦で飾ることを考えよ-。佐賀県鹿島市出身で「青年団の父」として知られる社会教育家田沢義鋪(よしはる)の言葉。富久千代酒造(鹿島市浜町)の3代目蔵元、飯盛直喜さん(54)が心に抱いてきた人生訓である。

 全国新酒鑑評会で2005年から7年連続金賞。11年には世界最大級のワイン品評会「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」日本酒部門で468銘柄中、最高賞。佐賀の「鍋島」は世界の「鍋島」に上り詰めた。

 「世界一の栄誉のためじゃなく、地元の人に愛され、誇りに思ってもらえる酒を造り続けるということ。まさに郷土を錦で飾る思いでやってきた」。振り返ればその道は、決して平たんではなかった。

   ◇   ◇

 先代の父謙次さん(故人)が1987年夏、くも膜下出血の後遺症がある体を押して営業に回っていて自損事故を起こした。東京で商社に勤めていた飯盛さんは3人兄弟の長男。弟たちはまだ学生。やむなく帰郷した。

 車いすの謙次さんの運転手役を務める「蔵元見習い」の日々。人知れず、夜な夜な一人で蔵を見回っていた父の姿に情熱を超えた執念を見る。

 蔵と家の間は緩い坂道。帰りは這(は)うように坂を上り、車いすは結んだロープで引っ張り上げていたという。「廃業させるわけにはいかない」。そう、覚悟を決めた。

 酒販免許の規制緩和でコンビニや安売り量販店が台頭し始めた時代にあって「品質第一」を守り抜くにはどうすればいいのか-。父が何度となく勧めた北九州市の地酒専門店「田村本店」に通って店主の田村憲治さん(74)から教えを請うた。「佐賀を代表する酒造り」を目指して若手の小売店店主を口説いて回り、志の通じ合った4人とともに98年、「鍋島」を世に出した。

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 本当の苦労はそこからだった。思うように売れず蔵自体の存続すら危うくなった。妻の理絵さん(52)が薬剤師の資格を生かして起業し、経営を支えた時期もある。「妻の力がなければ今の鍋島はなかった」。仕事に子育てにと奮闘した妻に背中を押された。

 東京の特約店を集めた会合で必死で訴えた。「鍋島は蔵と町の酒屋が造った酒。売ることは酒を育てること。鍋島を一緒に育ててほしい」

 以降、少しずつ、鍋島を商品の柱に加えてくれる特約店が増えていった。現在、地元の佐賀と福岡が5割、関東が3割を占める。

 鍋島はもうすぐ“二十歳”。「酒造りに従事する若手が増え、個性を発揮している。佐賀の酒はどんどん多様化していくはず」と、次代を見据える。酒造りを続ける限り、日本酒の伝統文化が続く限り、鍋島も、佐賀の酒も永遠に「未完成」なのである。

 =おわり

 ◆影響を受けた「一献」 1989年、東京の旧国税庁醸造試験所で講習生として酒造りを学んでいた時代に飲んだ全国新酒鑑評会金賞受賞酒の賀茂鶴(賀茂鶴酒造、広島県東広島市)です。まさに香りと味が一体。「鍋島」の造りにも少なからず影響を受けました。

 第1回「至高の一滴に半生捧げ」

=2017/01/17付 西日本新聞朝刊(佐賀)=

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