亡き家族との物語 込めた思い 座談会 安武編集委員 岡野さん

西日本新聞

 ●「生きる力」を伝えたい 闘病の妻との日々をつづった 安武編集委員

 ●人生どんげんでんなる 認知症の母を描き連載100回 岡野さん

 漫画家岡野雄一さん(67)=長崎市=が、91歳で亡くなった認知症の母光江さんを中心に家族の物語を紡ぐ「ペコロスの陽(ひ)だまりの時間」(毎週火曜掲載)が4日、連載100回を重ねた。この節目に、岡野さんと、同じ生活面の連載「はなパパの食べることは生きること」(2015年9月~17年3月)を終えたばかりの安武信吾編集委員(53)が、亡くした家族について伝える意味などを語り合った。

 安武 亡くなったお母さんを描くってどういう作業ですか?

 岡野 自分を産んでくれた人間を思い返すことで、自分の歴史を見返すような気がする。僕の場合、いろんなトラウマ(心的外傷)を越えるというか、なぞっていく感じ。

 安武 分かります。僕は、連載の最後から2番目に書いた「妻と暮らした最期の日々」は、最初に書こうとして書けなかった。後悔がずっとあったから。書く前に、千恵(享年33)を診てくれた在宅医の二ノ坂保喜先生に会いに行った。僕が一方的にしゃべって、最後に「あれがあったからこそ、本当の夫婦になれた気がした」と言った途端、涙があふれた。先生は「それは意味のあることだと思います」と。自分を肯定できた気がして、最期の日々が書けた。

 岡野 僕は母が亡くなった直後、天国に行った母ちゃんばかり描いて、ただただしおれている漫画が続いた。4カ月たったころ、ギャグを入れたらすごく読者の反応があった。やっとよみがえった。漫画を描きながらよいしょっと立ち上がった。

 安武 悲しみを乗り越えたのではなく、大切に抱きながら生き続けることが
できるようになったという気がします。

    ◇     ◇

 岡野 漫画を描き、講演をして、亡くなった親が認知症だったとか、介護中とかいう人が日本には多い、とあらためて気付く。講演の最後に必ず歌うのが自作の「どんげんでんなる」。「生きとこうで。生きとけばどんげんでんなる」という母の口癖から作った歌です。

 安武 僕の妻は「何とかなる」が座右の銘だった。同じですね。

 岡野 母が死んで、世の中が変わって、例えば(障害者19人の命が奪われた)相模原事件が起こって、描くこと、話すことも変わってきた。僕は、母を介護していて「死ねばよかとに」って思った瞬間が何度かあったけど、胃ろうを選んだりして、生きていてくれる方を選んで本当によかった。生きているだけで豊かで、それを味わわない人が増えてくる世の中はもったいない。だから、「死ねばよかとに」と思ったことは封印していたけど、「陽だまりの時間」にだけ描いた。

 安武 岡野さんの真ん中に「生きとかんば」っていうメッセージがある。すごく大事。今、日本には「自分なんか生まれてこなければよかった」と思う子どもが他国に比べて多い。自尊感情が低い。僕は娘に「生まれて意味のない人なんて一人もいない」と伝えたい。妻も娘に「生きる力」を身に付けさせたい、それだけだった。千恵の思いが、はなや僕を通して、全国の子どもたちに伝わっていく。僕らは、千恵の思いを新たに紡いでいく作業をしている。岡野さんが描く「死んどるばってん、生きとるごたる」につながる。光江さんも千恵も生ききったから、それができるのかもしれない。

 岡野 はなちゃんのような子どもたちが大人になったとき、いい世の中であってほしい。だけど、どんどん寛容じゃない世の中になっている気がする。直球では言わないけど、漫画で表現していければいい。


=2017/04/04付 西日本新聞朝刊=

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