民謡編<331>ゴッタンの世界(14)

西日本新聞

 ゴッタン奏者の荒武タミが新築の家を構えたのは1934年、23歳のときである。現在の鹿児島県曽於市のJR大隅大川原駅に近く、宮崎県都城を含めて霧島一帯の弟子たちが通いやすい場所だった。平屋のこぢんまりとしたたたずまいの家だが、現在は借家になっている。

 苦難の道の中で建てたマイホーム。タミはようやく落ち着ける場所と思ったに違いない。前年に結婚もしていた。それもつかの間の幸せだった。時代の歯車は激しく回り始めていた。

 太平洋戦争への道につながる満州事変が起こったのは31年である。三味線やゴッタンなどに興じる行為は「非国民」と呼ばれるような暗い時代に突入することになる。

 戦後にタミにゴッタンを習った弟子の一人は次のように語った。

 「ゴッタンの練習として最初に弾いたのは『戦友』でした」

 タミは教えやすい調子として「戦友」を選んだのだろう。タミ自身は戦争について多くを語っていない。この小さなエピソードは霧島山麓にも戦争の影を落としていたことを物語っている。

   ×    ×

 民謡、語り物を含めた日本の伝統音楽である邦楽が大きな転機を迎えた時期が二つある。それは明治維新と太平洋戦争での敗戦である。音楽学者の小島美子は自著「日本の音楽を考える」の中で次のように書いている。

 「洋楽以外は音楽ではないといって、日本の伝統音楽を含む他のすべての音楽を、徹底的に差別するように…」

 洋楽至上主義者をこのように批判している。明治維新によって西洋音楽が学校教育にも導入された。さらに、敗戦によって邦楽を含めた日本の伝統的なものは古いもの、価値がないような風潮に対して異議を唱えているのだ。

 こうした邦楽の流れの上に、戦後、53年に娯楽の座を奪うテレビ放送が開始された。並行して三味線、琴といった習い事文化も徐々に後退していく。タミと交流のあったゴッタン製作者の平原利秋(80)は「歌謡曲の『女の道』をどんな曲か、とタミさんが聞きにきたことがありました」と回想する。

 「女の道」は72年に発売されたヒット曲だ。多分、少なくなった弟子がゴッタンで「女の道」を弾きたい、と言ったのだろう。平原はレコードをかけてあげた。伝統の語り物を得意にしたタミにとってある意味、弟子を減らさないための屈辱的なことであったことは想像に難くない。

 わずかに見えていた右目は47年に全く見えなくなった。家庭的には50年に夫が死去、57年に荒武正雄と再婚している。子どもはいなかった。

 ゴッタンという楽器だけでなく、その奏者としての荒武タミの存在も時代の変化の中で消えゆこうとしていた。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/04/24付 西日本新聞夕刊=

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