「貧血」にあえぐ有明海 アサリにみる生命の源 干潟再生の鍵は鉄分

西日本新聞

 地球を構成する物質のうち質量の割合が最も大きいのは鉄だという。鉄は血液の赤血球にも含まれ、酸素を体内の至る所に運びエネルギーを生み出すのに重要な役割を果たしている。

 有明海でこの鉄に着目した干潟再生の実験が進んでいる。なぜか。鉄は植物プランクトンが栄養分を取り込む際に必要で、増殖に欠かせない。アサリなどの二枚貝は、餌のプランクトンと一緒に海水を取り込み水質を浄化しているからだ。

 実験場は、諫早湾から北側の有明海西岸、佐賀県太良町の干潟。そこに鉄分を含む環境改良材を散布し、アサリの発生や成育状況を観察している。

 実験を進めるのはNPO法人「SPERA森里海(もりさとうみ)・時代を拓(ひら)く」(福岡県柳川市)。理事長代行の田中克(まさる)京都大名誉教授(沿岸魚類生態学)は、有明海が「瀕死(ひんし)の海」になった要因の一つに鉄不足を挙げる。「有明海の命の源」筑後川から注がれる鉄分が、福岡都市圏に大量の水を供給する筑後大堰(おおぜき)によって奪われている、とみる。

 今月上旬、その干潟で家族連れや若者、シニア世代の約60人が潮干狩りを楽しんだ。「こんなに採れたのは久しぶり」と漁場を提供する平方宣清さん(64)が笑顔を見せる豊漁だった。

 肝心の実験。改良材を使っていない区域と使った区域のアサリの生息数を比較した。結果、前者が1平方メートル当たり約1100個だったのに対し、実験区は約2400個。約2・2倍の差が出て、鉄の効果と推測される成果を得た。

 アサリの採取と計測は、田中さんが講師を務める大阪府の認定NPO法人シニア自然大学校「地球環境自然学講座」の有志12人が担当した。改良材の購入費も一部負担している。「再生に取り組む人たちの努力が実り始めていると実感した」と講座の代表、飯田正恒さん(73)は言う。

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 海と鉄の関係については、有明海と同じ閉鎖性海域の気仙沼湾(宮城県)での研究がある。熊本県水俣市による第1回「環境水俣賞」(1992年)を受賞した松永勝彦北海道大名誉教授によるものだ。

 気仙沼湾に流れ込む大川の河口をはじめ、湾内の各所で海水を採取、鉄含有量を分析して、プランクトンを培養した。鉄分はいずれも湾外より多く、河口からの距離が近いほどプランクトンの増殖が確認でき、鉄が増殖を左右していることが示された。鉄分は上流の森林から川を通じて海に供給されていることも分かった。

 研究成果は、湾のカキ養殖漁師たちが89年に始めた河川上流での植樹運動を後押しした。「森は海の恋人」という合言葉は広く知られるようになった。

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 国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防の閉め切りから20年。漁業者と営農者の対立は先を見通せず、有明海の不漁の原因も特定されない。有明海の再生が急がれるが、そのためには長期的な視点と同時に、謎を解く門を一つずつ開けていくような取り組みが必要だろう。鍵の一つとして「鉄」に重点をおいてはどうだろう。

 鉄鋼材料を長年研究してきた矢田浩静岡理工科大名誉教授(福岡県宗像市)は、環境問題全般において鉄の重要性を指摘。鉄の少ない海域へ鉄分を投入してプランクトンを増殖させ、二酸化炭素を吸収させるという手法にも注目する。地球温暖化防止のため、一部専門家が唱えている対策だ。

 有明海再生に向けて、まずは有明海各所で海水の鉄の含有量を調べることを提案する。「諫早湾や付近の海域に鉄分を主に供給していたのが(多良山系から同湾に流れ込む)勾配の急な本明川ではないか。堤防を開門する代わりに川の水を放流する分水路などを検討しては」と語る。

 国は2005年度以降、有明海での漁場整備や養殖技術開発に約300億円を投じた。だが、目立った成果は上がっていない。鉄に関する取り組みはすでに気仙沼湾の前例や、NPOなどによる環境改良材を使った実験もある。行政としても補助事業などの形で実現しやすいのではないか。

 有明海が鉄欠乏性の貧血状態にあるとすれば、治療法と処方箋を一刻も早く見つけたい。


=2017/04/26付 西日本新聞朝刊=

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