「自分が手掛けた吉田拓郎の作品を買ってがっかりした」松任谷正隆インタビュー完全版(上)「過去のものはいつも稚拙」

西日本スポーツ

 アレンジャー、音楽プロデューサーとして数々の名曲を生み出してきた松任谷正隆氏(65)が西日本スポーツの単独インタビューに応じた。昨年10月にインタビュー形式の著書「僕の音楽キャリア全部話します」を出版。タイトル通り自身の半生を赤裸々に語っているほか、ユーミンの愛称で親しまれる妻の松任谷由実、松田聖子、ゆずらヒット曲の誕生秘話も満載だ。「過去の作品はすべて稚拙」と言う松任谷氏は、40年ぶりに自身名義のアルバム制作に取り掛かっていることを明かした。 (聞き手・構成=山本泰明)

 -今回の著書はインタビュー形式です。

 「振り返るともう40年近い。自分で書いた方が楽なんだけど、自分の知らないこともインタビュアーの言葉で気が付いたりするのかな、というところもありました」

 -かなり深い話も多かった印象です。

 「全部を語り尽くしたわけではないけどね。ちょっとまずいことは二つくらいあったけど…時効だから」

 -「自分の人生には山がない」と。

 「抑揚はあまりないかな。でも、暗黒時代は確実にありました。性格的にペシミスティック(厭世=えんせい=的)なので、常に暗黒時代ともいえるし。内向性がどうしてもあって、それが自分の音楽になっている」

 -というと?

 「何だろう。外に発散できない。内側に発散していくとどうしてもモノを作りたくなる。基本はペシミスティックなところからきているから、死生観みたいなものがある。変な言い方ですが、僕の作品はお葬式でかけると合いますよ(笑)」

 -暗いという意味ではないのでしょうか。

 「暗いというといろんな暗さがあるけど、分からないことだらけというのかな。自分自身のことも分からないし、世の中のことも仕組みも。その中で、どう生きていけばいいのか…っていう」

 -恋愛の曲でも考え方は同じですか。

 「そういう考えはありますね。結局は分かり合えない。分からないから作るのであって。分かったら音楽なんて作らないんじゃないですか。それこそゴルフと一緒なんですよ。分からない」

 -作品のセールスという面も分からない、難しいと書かれています。

 「自信作と売れるものは違う。世間が求めているもの、自分が作っているものとの接点がいわゆる『売れるもの』なんだろうけど、自分の作りたいものイコール接点とは違いますからね」

 -1997年に発表した由実さんの「カウガール・ドリーミン」は思ったよりセールスが伸びなかったと述懐している。

 「野球と一緒なんですよ。ホームランと思って打った球が外野手に捕られる。それは風のせいかもしれないし、スピンが多すぎて落ちたのかもしれないし、風があれば入ったのかもしれない」

 -94年の「ザ・ダンシング・サン」は売れると思って本当に売れた唯一の作品だとも回顧されています。

 「あれはそう。1打席目も2打席目も3打席目もよくて…つまり『ハローマイフレンド』『砂の惑星』『春よ、来い』がヒットして、4打席目はもう全部見切ったぞ…っていう感じでした」

 -そういうときの感覚は、いいものを求めて次から次へという感じなのでしょうか。

 「作っててそういう感触はあったし、だからそのときはすごく自由になれた感じでした。何をやっても大丈夫だぞっていう。それは作っている間の話ですけど。これだけのものができたので、どういうふうにでも対応できるんだ、と」

 -表に出ず、プロデューサーという仕事に行き着いた理由は。

 「自分が矢面に立つのが嫌な性格なので、自然とこういう仕事になったんですよね。自分で自分の欠点を知ってるんですよ。打たれ弱いとか、表に出て行く性格ではないとか。なので、人をそそのかした上でやりたいことをやるという(笑)」

 -かつて、俳優としてドラマにも出演されたこともありました。

 「あれはね、出てみたいっていうことではなかった。変な話、自分の仲人だった人がテレビのプロデューサーで、海外に2か月間行くっていうので、飛行機嫌いの僕はここで行かなきゃ二度といかないな、と。で、実際に行くと一発目は納得いかなかった。ある程度納得いくまでやりたいというのも僕の性格。ダメだったら次、次、というふうにやるんです」

 -やっている間は満足感は得られないということですか?

 「でも、ある程度の線引きは必要です。100パーセントはない。役者って難しいんです。最後に頼まれた(俳優の)仕事っていうのが、仲人をやってもらった人の自伝が原作で。その人が定年になるというんで、好きなことをやっていいって上の人に言われたらしくて、僕に依頼が来た。ところがそのとき彼は病気で、余命幾ばくもないころ。悲しいじゃないですか。稽古場とかではすぐに泣けちゃうけど本番で泣けないんですよ。つまり、役者は同じ感情のポジションにいつも持っていかないといけない。音楽だったらここで感極まったら…ということをできる。でも、テレビはカメラや周りのスタッフがいて、いろんな環境があって自分の好きにはできない。ここでっていうところでここにいかなきゃいけないんだけどそれができない。難しいんですよ。役者をやるより本を書いた方が面白い」

 -その経験は音楽にも生きていますか。

 「生きてますね。今度3度目の帝劇公演をやるんですけど、役者をやっていなかったら自分ではそのマインドが分かりませんから。やっといてよかったですよ」

 -役者と音楽の違いって何でしょうか。

 「僕は意外に完璧主義に近い考え方があって、自分で10できるんだったら10やらなきゃ気が済まないんだけど、ドラマの場合は周りの環境とかいろいろあって、周りが良ければ自分が8でもOKってしなきゃいけないところがつらい。10までいけるのに8で我慢しなけりゃいけない」

 -その点、音楽プロデュースなら?

 「10までいきますからね」

 -だから求めるものも厳しくなると。

 「それはあります。アーティストなり何なりが振り切るまでいかないとOKを出さない。昔、尾崎亜美というアーティストをプロデュースしたときに、彼女、病気になっちゃいましたから。僕のせいで。OKを全然出さなかったから」

 -そういうときはどうするんですか。

 「待ちましたけどね。だから、それも昔の話でいい勉強になったというか、自分は振り切らなきゃいけないけど、相手は振り切れるか分からないんです、そのあんばいは大事ですかね」

 -その点で、由実さんとの制作は相性が合っているのでしょうか。

 「ひと言で言うのは難しいですが、まず、1枚目のアルバムを作ったときからあるスペースを僕に預けるようなやり方をしました。彼女が面倒くさがりというのもあったんですが、それがどんどんエスカレートしたと思ってもらえればいいのかな。預けられる部分っていうのは、曲や詞だったり。サウンドとかは全面的に任されているわけだけど、結局、それがプロデュースになったということですね」

 -任せられる領域があるというのは、アーティストをプロデュースする上では大きいですか。

 「任されなかったらプロデュースなんかできないですよ。例えば、ここでバントっていうときに来た球を振っちゃう奴がいたら成り立たない」

 -夫婦だからこそできあがった部分もあるのではないでしょうか。

 「任された部分、求められたものがどこかというのも分かっていますからね。監督みたいなものじゃないですか。監督の言う通りにやったら勝ったとか、負けたとか。私は本当はこうやりたかったのに…ということもあるでしょうけど」

 -そういう部分は言われないんですか。

 「言わないんです。負けた…とかも。自分も精いっぱい打ったつもりだから言わないけど、結果的にあと数センチでホームランになったとか、風が吹いたとか、そういうことなんですよね。その中でベストというところまではやっている。負けて悔いなしだけど、これだけ課題を残したっていうのが次へのモチベーションになる。結果に対しては必ずそうなりますね」

 -その中で常に新しいものを追求してきた。

 「一番エネルギーになるのは、新しいことを常に面白がれること。ただ年とともに、若いころに新しい音楽を聴いたときの感じがだんだんなくなってくるんです。それがミュージシャンにとっての最大の敵。新鮮でいられない。新しいものに対してポジティブでいられない。新しい料理を作ろうとしてるのに、いつもの味になっちゃう。そこが必ず、闘いです」

 -脱しようとは?

 「します。同じことはやりたくないから脱しようとするんだけど、最終的に何がおいしいかというのも分かっている。それが自分のスタイルだからしょうがない部分かもしれないんだけど」

 -変わらないことをよしとする人もいる。

 「僕は違います。人生短いじゃないですか。あの人はいつも変わらなくてすてきだったっていう生き方に子どものころは憧れるわけですよ。でもそれを一人称になって考えますよね。チャラいと言われても、どんどん新しいことをやった方が面白いのかなって」

 -チャラいという言葉が新鮮に聞こえます。

 「人目よりも自分の生き方とか死に方とか、そういうことなんじゃないでしょうか」

 -そういった点で最近のミュージシャンに感じることはありますか。

 「う~ん…。やっぱりそれぞれに個性があるから、まとめて言うことはできないですよね。本当はもっと出てきてもいいような子もいるんだろうし、ビジネスでやってる子もいるんだろうし、でもそれはいつの時代も同じじゃないかな」

 -気になるアーティストはいますか。

 「それはいっぱいいますよ。でも僕が気になるアーティストっていうのも、そろそろベテランの領域に入ってきてたりする。サカナクションがいいって言ったって、結構なキャリアだしね」

 -若い世代の音楽もよく聞かれるんですか。

 「無理には聞かないですよ。基本的にラジオは好きです。自分の車で移動するときはiPodに音楽を入れて聞くこともあるけど、ラジオが圧倒的に多いかな。聞いたことがなくて、『あ、いいな』みたいな」

 -車に乗る時間は結構ありますか?

 「車の仕事もしてるから乗る時間は多い。プライベートでもちょっとは乗るけど、昔ほどじゃない。昔は運転がうまくなりたくてしょっちゅう出てましたけどね」

 -その車も含め、常に新しいものを追い掛けるというのが今回の著者のメッセージなのかなと受け止めました。そこは貫いてきた部分ですか?

 「そう思いますね。僕は自分の過去の作品をほとんど聴かない。よっぽど気が向けば昔の…この間、吉田拓郎の、自分がやった作品をiTunesで買ってみたんですが…がっかりしたな。買うんじゃなかった。やっぱりこの程度か、と」

 -がっかりですか。

 「ええ。過去のものは稚拙ですよね。自分にとって。やっぱり、いつも稚拙だと思うな」

 -どれだけ売れた作品であっても?

 「そう。古いものはもう過去の話なので」

 -それが著書で話している〈次の作品が最高傑作〉の意味でしょうか。

 「裏付けされない自信というのかな、次が絶対にいいんだということはいつも思っています」

 ◆松任谷正隆(まつとうや・まさたか)1951年、東京生まれ。4歳でクラシックピアノを習い始め、14歳でバンド活動をスタート。71年にプロミュージシャンとしてデビューし、バンド「キャラメル・ママ」「ティン・パン・アレー」に参加した。その後、アレンジャー、プロデューサーとして多くのアーティストの作品、コンサートの演出などを手掛ける。86年、音楽学校「MICA MUSIC LABORATORY」を開校。車好きで、モータージャーナリストとして日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員も務める。

→松任谷正隆インタビュー完全版(下)40年ぶり自身のアルバム制作中

=2017/04/27 西日本スポーツ=

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