民謡編<335>ゴッタンの世界(18)

西日本新聞

 南九州の民俗芸能研究者の鳥集忠男(故人)は在野の民俗学者だった。その博愛主義的な懐の深さは多くの人に慕われた。民謡やゴッタンなどの研究者と同時に、実演者であることも強みだった。

 鳥集の死後、2004年に450頁(ページ)の遺稿集「霧島んぢだのうた」が鳥集を敬愛する周辺の人々の手によって刊行されている。100人近い鳥集ファンが寄稿している。

 ゴッタン奏者の荒武タミの愛用したゴッタン「太郎」と一緒に、鳥集が使っていたゴッタンも貸金庫の中に眠っている。鳥集のゴッタンの裏には「花和尚」という雅号が記されている。この号について息子の寿一は次のように語った。

 「本当かどうかはわかりませんが、『花和尚』は中国語でスケベ爺(じじい)という意味だと父は言っていました」

 鳥集はサインなどを求められて本名を書くことは「くっせらし」(生意気)と思っていた。いわば謙虚さと遊び心を持った号であった。

   ×    ×

 遺稿集には寄稿だけでなく、師であったタミについての鳥集の文章も再録されている。

 「(タミとその芸を)知るため私は弟子になり、併せて楽器として認められていなかったゴッタンに取り憑(つ)かれ、遂(つい)にはルーツを求めて中国まで赴くことになった」

 タミとの出会いによってゴッタンに開眼する鳥集の心中をこのように書き込んでいる。

 遺稿集の中にはタミと鳥集の師弟愛について描いたシーンも少なくない。

 「先生(鳥集)はとうとうタミさんのお弟子さんになられました。教えを受ける先生はまるで小学生のように素直でしたよ。本来三味線の名手であった先生は一年後にはゴッタンの弾き語りを完全にマスターされたようでした」

 タミは鳥集のゴッタンについて「一流じゃっど」とその実力を認めていたことも遺稿集に中に見える。師弟二人の共演を伝える次のような寄稿もある。

 「二、三度音合わせをして掛け合いの弾き語りが始まった…歌詞は二人がその場で思いつくままらしかった。そのくらい息が合い、歌声は自然にほとばしり出た」

 鳥集はタミを世に出し、タミの死後はゴッタンとその語りを引き継いだ。さらに、ゴッタンの作り手が絶えないように製作者を育て、その伝統は若い世代にも継承されている。

 鳥集はタミと同じように野と民衆とともに生きた研究者であり、芸能者だった。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/05/22付 西日本新聞夕刊=

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