学校のハテナ(4)記者ノート 先生こそ「クリティカル」に

 Aさんがある意見を言ったとする。でも、それは本当に正しいか、答えは一つだろうか。相手の側にも立ち、人の意見をしっかり聴くことは大切だけれど、あなたはどう思うの?

 先生が最近、子どもたちに求める技能の一つとして「クリティカル・シンキング」(批判的思考力)がある。その手法で学校そのものを捉え直すとどうなるか。それが今月のテーマ「学校の?」の狙いだった。

 授業改革の一環として、小中高校では「アクティブ・ラーニング」が導入されようとしている。これまでのような教員による一方的な「教え込み」ではなく、児童生徒同士の「話し合い、教え合い、学び合い」を重視する指導方法だ。

 各学校の授業では今でも、4人程度で話し合う「グループ学習」が定着している。ところが、誰かが「こう思う」と言えば、「そうそう」とつい他の子が同調する場面が少なくない。意見や主張の対立を恐れ、議論を避ける傾向も。背景にはいじめ問題などもあるとされる。

 そこで求められているのが「クリティカル・シンキング」。一つの考えや情報をうのみにせず、「あえて一度、批判的に物事を捉える」という授業場面づくりがポイントだという。

 でも、子どもたちにこうした発想の転換を求める以前に、指導する側の先生にそもそも、クリティカルな発想や発言を嫌う傾向がある。先日もある小学校の校長に、この連載の話を向けると顔色が変わった。

 「学校にはそれぞれのやり方があって当然でしょ。学校の実情もよく知らない記者に、あれこれ書いてもらいたくない。私たちはただ、子どものための授業に専念したいのだ。不要な波風は立てないでくれ」

 言葉は丁寧だが、そういう趣旨だった。私たちが知り得ない日常があるのだろうが、その反発ぶりに少々驚いた。

 私が取材した「掃除」では、ルールや指導を厳格化する「黙々方式」の一方で、子どもたちを信じ、やる気にならない時はやらなくてもいい「自問方式」もあった。「そんなことしたら、子どもたちは勝手にぞうきんを投げたりして、遊ぶに決まってるじゃないですか」。ある先生はそう話したが、自問方式が定着している学校もある。

 学校の常識を一度疑ってみる-。自問方式導入の背景には、当時の校長のクリティカル・シンキングがあった。
(編集委員・佐藤倫之)

 

 「ハテナ」が学校と保護者結ぶ

 小学校はなぜ、「箱形でプラスチック製の筆箱」を推奨するのだろう? もっと自由でいいじゃない。「箸の上げ下げ」まで管理するのが、今どきの学校なのだろうか-。

 長男が長崎県の小学校に入学した3年前、私はそんな疑問を感じた。でも、先生にわざわざ理由を尋ねることはなかった。多くの保護者は、学校対応に似たような疑問を感じつつ、そのままにした経験があるのではないだろうか。

 私も教育取材班の記者とならなければ、「筆箱の疑問」を解くことはなかっただろう(理由は21日付本欄に掲載)。その是非はともかく。

 教育現場を取材していると、よくこんな声を聞く。

 保護者「(保護者と教員が意見交換する)学級懇談会で、一方的にまくし立てて終わりにする先生がいる。質問しても、まともに答えてくれない」

 学校「教員の指示を誤って理解する子どもがいる。その指示を伝え聞いた親が『おかしいじゃないか』と怒鳴り込んでくることがある」

 学校と保護者の連携が叫ばれながら、実はちぐはぐ。お互いを知らなさすぎるのだ。それぞれに理由や背景があるのに。

 例えば、なぜ教室は四角形で、子どもたちの机は前方に向けて配置されているのか-。

 「教員は黒板の幅だけ移動すれば、全ての子どもの動きがチェックできる」。福岡教育大の鈴木邦治教授が教えてくれた。戦前の1学級80人時代に「同じ内容を同じ早さで教えられる効率的なシステム」として、画一的な人材能力を育てるのに役立った。大勢を管理する施設や病院で開発された手法だという。

 問い掛けることで、そんな背景の一つを初めて知った。

 子どもの机の配列では、授業内容に応じ「コの字型」に変えるなど、臨機応変な対応も広がっている。でも、もっと新たな教室の姿があるのかもしれない、などとあれこれ考える。

 一方で、いまの小学校は、本来は家庭で教えるべき「靴のそろえ方」まで指導していた。それは保護者の一人として、身につまされもした。

 疑問があれば保護者は尋ねる。学校側もきちんと答える。その中で保護者は納得し、学校運営に協力する。見直すべき課題が見つかれば話し合う。「学校の?」という問い掛けの中に、保護者と学校が相互理解を深めるための糸口があると思っている。
(四宮淳平)

 

 ◆読者から 「重いかばん」けが、病気の懸念

 「かばん なぜこんなに重い?」について、多くの意見が寄せられた。

 ある母親からはこんなメール。「幼い頃から同級生の中でも小柄な息子。中学校までは片道30分、急な階段もあった。登校初日、その階段を上る途中、かばんの重さで、後ろに落ちそうになり、友達が支えてくれたそうです。学校は置き勉禁止で、副教材も持ち帰らないといけません。学年最後に見たら、折り目もついてない副教材もたくさんありました。教材を生徒に持たせていることで、先生方が満足しているのかな?」

 別の母親は、心身両面の負担を懸念していた。

 「大学2年の次女は、中学2年のとき、椎間板ヘルニアの手術を受けた。起き上がれないこともあり、高台にある学校まで車で送迎した。同じマンションから通う生徒も中学時代、椎間板ヘルニアになったと聞いた。知人は整体師から『小学校を卒業したばかりの成長期の身体で、あの坂を重いカバンを持って上るのは無理』と言われたそうだ。遠方から重いかばんを持って通えず、不登校につながる子もいるようです」

 一連の記事に、3月に退職した元小学校教諭はこう寄せた。「多くの先生は、非常識なことはしたくない、子どもに無駄な圧力はかけたくない、笑顔で楽しく毎日を過ごし、授業や行事、先生や友達との関わりから多くのことを吸収してもらいたいと願い、できる限りのことをやっている」

 「指導法に賛否両論あるのも分かる。でも、規律を保ち、子どもたちが安心して過ごせる、いじめのないクラスを作ろうと格闘している先生は、記事を読み、自分のやってることに自信をなくし、挫折感を味わっているのではないか」

 グサッと来た。

 

=2017/05/28付 西日本新聞朝刊(教育面)=

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