森へおいでよ 筑豊の自然再発見<38>先人の知恵 自然は美しい、のか

西日本新聞

 まずは写真をさっと見渡してほしい。どんな景観に心を引かれるのか。そしてそれは、自然なのか、人工なのか?

 さて、ある場所に生育している植物の集団を植生といい、植生が形作る景観を相観(そうかん)という。相観には、森林、草原、荒原があり、最終的に行き着く植生、つまり、遷移の後に到達する植生を極相(きょくそう)という。どのような極相を呈するかは、主にその場所の気候で決まるが、日本は気候的に恵まれるため、国土のほぼ全域において極相は森林となる。筑豊での極相もカシ・シイ類の照葉樹林であることが多い。

 では、筑豊の植生はすべて極相林かというと、そんなことは決してない。例えば、森林を伐採すると短期間ではあるが荒原となり、やがて草が侵入し=写真(1)、低木林となる=写真(2)。いずれも遷移の途上の景観で、その後、アカマツなどの陽樹林を経て極相林となる。また、田畑は、遷移を止めて作物という特定の植物だけが生えている状態であり=写真(3)(4)、茅場(かやば)も、刈り取りや火入れによって草原で遷移を止めている姿である(5)。いずれも人の手で維持される景観である。

 照葉樹林は、外見はもこもことした手付かずな感じの森であるが=写真(6)、そんな森でも中に入ると、木のほとんどが株立ちになっていることが多い=写真(7)。これはかつて薪炭林として切られてきた証拠で、ガスや電気の普及により薪炭が不要となり、半世紀ほど放置された姿でもある。おそらく筑豊には、神域として守られてきた神社の森を除いて、人の生活圏に近いところに原生林は存在しないであろう。

 それでは最初の問いに戻る。いずれに心が引かれるのか人それぞれであるが、すべてが自然に対して手を加えた姿である。植物の育ち方、あり方に対して、人が介入する。その介入の仕方や程度に応じて、さまざまな姿を見せている。そもそも自然と人工を対立させることにも問題があるが、今回は触れない。

 これからは、自然への無批判な信奉を捨て、10年後、50年後、100年後に、どのような植生の、どのような景観を残したいのかを考え、しっかりと手を加えていかなければならない。

【筑豊の自然を楽しむ会(ちくぜんらく)・岸本×太(ばった)】


=2017/06/15付 西日本新聞朝刊(筑豊版)=

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