森へおいでよ 筑豊の自然再発見<46>ハゼノキ 蝋の木が灯した希望

西日本新聞

 植物は、見るだけではなく、触ったり、匂いを嗅いでみたりすると、より親しみがわく。しかし、観察会などで「触らないで」と言わなければならないものもある。その一つがハゼノキ=写真(1)(2)。ウルシの仲間であるハゼノキは、触ると肌がかぶれる恐れがあるからである。しかし、紅葉は美しく、実から採取できる木蝋(もくろう)は人の役に立ってきた。決して人間の敵ではない。

 里山などでは、ハゼノキと近縁のヤマハゼが混在する。両者は見た目もよく似ているが、ハゼノキは全体的に無毛、ヤマハゼは葉や葉軸に毛があることなどで見分けることができる=写真(3)。そして、たどった歴史も異なるようである。

 ヤマハゼは古来、日本に自生し、一方、ハゼノキは中国などから日本に持ち込まれたと言われている。目的は木蝋生産。果実=写真(4)を蒸して圧縮することで得られる木蝋は、ろうそくだけではなく、化粧品や医薬品、整髪料、つや出し剤など、用途は幅広い。蝋が採れる樹木は日本にも数種あるが、ハゼノキは結実量や採れる蝋の割合が秀でていたという。

 日本での栽培の始まりについては、安土桃山時代末ごろ、博多の貿易商人神屋宗湛(かみやそうたん)らが種子を中国から輸入したという話や、琉球国を経由して薩摩藩に持ち込まれ、江戸中期に本格的な栽培が始められたという話など、諸説ある。そして、需要が高まる時勢の中、ハゼノキの苗は精蝋(せいろう)の技術とともに西日本に広がり、諸藩の財政を支える重要な商品作物となった。また、明治の頃には、質の良い「ジャパンワックス」として海外にも輸出された。

 福岡県では、久留米藩などが栽培や品種改良に力を入れ、日本屈指の大産地として発展。筑豊地方でも、現在の嘉麻市千手あたりを中心に平迫櫨(ひらさこはぜ)という優良品種が栽培されていた。

 今では里山で野生化したハゼノキも、かつては豊かさを求める人の心に希望を灯(とも)した一苗であった。里山は、人と植物が関わった歴史が息づく場所。危険を避ける知恵を持ちつつ、里山、そして植物に親しんでほしいと願う。

【筑豊の自然を楽しむ会(ちくぜんらく)・後藤ようこ(もり子)】


=2017/08/10付 西日本新聞朝刊(筑豊版)=

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