民謡編<347>国東の琵琶法師(6)

西日本新聞

 〈竈(かまど)のほとりを大切に ぬれざる様に心掛け くべる焚木(たきぎ)も気を付けて けがさぬ様にいたしつつ掃除第一清くせよ…〉

 高木清玄が残したレコード「国東の琵琶法師」(CBSソニー、1977年)の中に「荒神和讃」が収録されている。琵琶の音がリズムを取り、清玄の実直で、野太い声が響いてくる。

 竈は土、石、レンガなどで作った調理用設備で、1950年代ごろまではどの家庭にもあった。ガスや電気の普及で、竈は家々から姿を消した。レコードのライナーノートには次のように記されている。

 「『荒神』は、九州ではもっぱら家の火所に祀(まつ)られる、いわゆる火の神、竈の神のことをいい、この神は家を守護してくれるが、また祟(たた)りやすい性格をもち、なおざりにすると家に厄災をもたらすと考えて、ことあるごとにこの神の魂を鎮めるため呪法を(琵琶法師が)行った」

 こうした竈祓(かまどばら)い、荒神祓いは竈を造るときや壊すときだけでなく、かつては毎月の末日に行われていた民間信仰だった。この他、四季の土用の日には「土用行」と言って、家々を回るなど琵琶法師の仕事は庶民生活に密着していた。

   ×    ×

 写真家、本橋成一の写真集「昭和藝能東西」には竈の前で琵琶を弾く清玄の姿が写し出されている。小沢昭一の取材に同行した際のひとコマだ。70年ごろの取材だが、小沢は著書「日本の放浪芸」の中で次のように書いている。

 「高木さんは私をつれて一軒の農家に立寄り、そこの台所のカマドの前で『荒神祓』をやってみせてくれた」

 当時、国東でも竈のある家はごく少なくなっていた。使ってはいないが、残っている竈の前で、清玄は「荒神和讃」を唱えた。

 「古めかしくやって見せれば満足するであろうとの、私へのサービスなのである」

 清玄は小沢のために「再現」したもので、逆に言えばこの当時、すでに国東には竈祓いの宗教儀礼はほとんどなくなっていたともいえる。小沢は清玄の琵琶について「音程の確かな細かい撥(ばち)さばきがお経の間を縫った」と表現している。

 清玄は宗教者であり、芸能者と呼ばれることを敬遠していた。だが、時代、生活の変化の中で琵琶法師の存在基盤が薄れる一方で、芸能者としての琵琶法師がクローズアップされる。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2017/08/21付 西日本新聞夕刊=

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