神社から砲弾 大分で次々 戦利品奉納?信管付きも 県警、通報呼び掛け

西日本新聞

 大分県内で主に神社から「砲弾発見」の届け出が相次いでいる。5月24日から6月4日までの間、10カ所の神社と1カ所の寺、民家3軒の14カ所から計23個が見つかった。中には信管が残り、爆発の危険性もあるため、県警は県神社庁に県内に約2100ある神社で砲弾がないか調査を要請。日清戦争(1894~95年)ごろから戦勝記念として全国各地の神社に砲弾が奉納された歴史があり、「全国の神社にも残されている」と関係者は注意喚起する。

 「杵築市の八幡神社で砲弾2個が見つかりました」。5月24日夕、地元テレビが報じるのを見て、大分市家島の自治会長、徳丸健治さん(72)は「あっ」と声を上げた。地域の天満神社拝殿にも三つの砲弾があるのを思い出したのだ。同30日、市役所鶴崎支所に処理を相談すると、陸上自衛隊目達原駐屯地(佐賀県)が回収に来た。

 天満神社の砲弾はいずれも直径約10センチ、長さ約30センチで、信管が付いていた。拝殿は普段、鍵が掛かっているが、祭りのときには開放され多くの住民が出入りする。徳丸さんは「もしけんかが起きて砲弾を投げ飛ばしたらと思うと、心配だった」と胸をなで下ろす。

 「砲弾は物心ついたときからあり、危険とは感じなかった」と神社近くの三浦明さん(88)。拝殿に出入り自由だった幼少時代には、砲弾を持ち上げて友人と力比べしたという。祭りの際に敷くござの重しに使うこともあった。1931年の満州事変で従軍した人が持ち帰ったと聞いた。

 同31日の県警の要請を受け、6月に入って「うちにもある」と警察への届け出が相次いでいる。

 日本が戦争へと突き進んでいたとき、国家と神道は切り離せない関係にあった。大分県先哲史料館(大分市)は「かつては出征前に神社に戦勝祈願することが多く、帰還した人が奉納品として納めたのでは」。

 砲弾と神社の関係に詳しい熊本県教育委員会文化課の秦憲二さん(49)も「戦利品として持ち帰った砲弾を神社に奉納することで国威発揚に使ったのではないか」と話す。持ち帰りが最も多いのは日露戦争(1904~05年)の時期という。

 大分県神社庁の神日出男庁長(69)は「砲弾は大分の神社だけに残されているのでなく全国どこでもあるはずだ。爆発の危険性もあるので見つけたら触ることなく、警察に連絡してほしい」と呼び掛ける。

この記事は2017年06月05日付で、内容は当時のものです。

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