森へおいでよ 筑豊の自然再発見<49完>むしであそぼう かわいそう、の呪縛

西日本新聞

(1)灯火採集。何が来てるかな?撮影場所は麻市熊ケ畑ひまわり畑(嘉飯物語「夜のいきものさがし!」) 拡大

(1)灯火採集。何が来てるかな?撮影場所は麻市熊ケ畑ひまわり畑(嘉飯物語「夜のいきものさがし!」)

(2)オオスズメバチ。これは痛い撮影場所は飯塚市鳥羽池公園(飯塚市自然体験プログラム「いいねん!」) (3)マムシ。これも痛い撮影場所は嘉麻市熊ケ畑ひまわり畑(嘉飯物語「夜のいきものさがし!」) (4)シンジュサン撮影場所は宮若市ルリユール(日吉藝術小学校ほか) (5)スケッチ。観察する習慣がつく撮影場所は飯塚市庄内生活体験学校(自然と生活の体験塾) (6)クロヒカゲ。こう持つの?撮影場所は宮若市ルリユール(日吉藝術小学校ほか) (7)アオドウガネ。こう持つの!撮影場所は嘉麻市熊ケ畑ひまわり畑(嘉飯物語「夜のいきものさがし!」) (8)蚊帳に放したバッタ。作られた環境でも親しんでもらえる撮影場所は飯塚市役所(街なかオアシス「むしであそぼう」)

 むしで遊ぶ子供に対して、大人はしばしば、かわいそうだから逃してやれ、という。その気持ちは理解できるが、かわいそう、は大人の主観、捕りたい、飼いたい、は子供の主観。主観の間に優劣はない=写真(1)。

 では、子供からむしを救うにはどうしたらよいか。

 「痛いよ!」これは効果がある=写真(2)(3)。しかし、うそや出任せがばれると効果がなくなるため、正しく見極める知識と眼力が必要になる。捕りたい、という子供の学習能力は侮れない。捕るな、というにはそれ以上の能力が要求される。

 「足が取れて痛がってるよ」など感情に訴える手がある。小さい子には効くが、そのうち、むしに感情などないしバッタは脚を自ら切って逃げると知ると、それ以降、その大人の発言は重みをなくす。

 「無益な殺生はするな」と倫理観に訴える。これはすぐに、無益でないなら殺生も許される、と気付かれる。標本用=写真(4)、学習や研究用=写真(5)、害虫だから、など理由があれば、飼ったり殺したりしてもよいし、実際、大人はしているじゃないか、となる。大人がしていることを子供にするなと説得するのは難しい。専門家だから、害虫だから、には根拠がない。

 日本では昆虫学の発展を常にアマチュアが支えてきた。子供の頃からむし捕りに興じ、そのまま趣味人として在野で知見を蓄えてきた経緯がある。その一部が大学などの研究者になったにすぎない。また、害虫か否かは、そのむしの生態的な地位とその人の立場で変わる上、そもそも多くの農薬や殺虫剤は無差別に殺すので論外となる。

 あとは、逃したことによる自己満足くらいか。しかし多くの場合、大人の浅薄さが環境破壊に子供を加担させる結果を招く。養殖カブトムシを家の近くで逃がすと遺伝子汚染を生じるし、夜店の金魚や緑亀(アカミミガメ)を近くの川に放生するなどは外来種問題について無知蒙昧(もうまい)で、あまりに無頓着というものである。

 客観的事実の積み上げなしに、感傷的なきれいごとによる「逃してやれ」は単なる傲慢(ごうまん)である。子供にとって、むしを捕ること、飼うことは、逃がすこと以上に大きな意味を持つ=写真(6)~(8)。

【筑豊の自然を楽しむ会(ちくぜんらく)・岸本×太(ばった)】

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 「森へおいでよ 筑豊の自然再発見!」は今回で終わります。


=2017/08/31付 西日本新聞朝刊=

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