【とうふ物語】(9)読者の思い出 「ラッパの音で目覚め」「でこぼこ道をお使いに」

西日本新聞

 連載「とうふ物語」では地域に伝わる豆腐や、全国に知られるようになった豆腐料理を計8回にわたって紹介した。読者からも豆腐にまつわる思い出が寄せられ、「豆腐県佐賀」の魅力を再発見した。

 「まだ明けきらない谷間の集落に、『プープ』という音が響き渡ると、いやでも目が覚めるのである」

 唐津市北波多田中の富永登代子さん(72)は小学生のころの夏休みは、豆腐売りのラッパの音で目を覚ましていたという。「音は家の前からなかなか遠ざからなかった」。母は毎朝、豆腐を買っていた。売り子は高校生。「母は彼に協力していたのかもしれない。わが家の豆腐入りみそ汁は毎日食べてもおいしかった」と振り返った。

 「豆腐の思い出は祖母の優しさ」。同市山本の主婦高田朱実さん(62)は中学生のころ、自宅隣の豆腐店でアルバイトをしていた。祖母は寒い朝は「自転車で手が冷たかろう」と家の外で熱い湯を抱えて待っていてくれた。店のおばさんの仲立ちで、両親が結婚していたことを後で知った。「今の私は豆腐屋さんのおかげ」と感謝した。

 同市東城内でうどん店を営む森杏子さん(73)は中学1年生の時の、お使いの思い出を寄せた。15歳年上の姉夫婦の家に遊びに行き、夕食はすき焼きに決まった。喜んで、自転車に乗ってでこぼこ道を通って豆腐を買いに行った。姉に差し出すと仰天された。「豆腐は形をなくしていた。すき焼きの味は忘れた」。ほろ苦い記憶をつづった。

 傷みやすい豆腐は、近所の店や引き売りから買う時代があった。全国豆腐連合会(東京)によると、県内の豆腐製造業者はピークの1959年度には595軒あった。ところが、小売業者の価格競争などで2015年度には73軒まで減った。

 連載の中でも、数度の経営危機を経験した店を紹介した。「日本で一番おいしい豆腐を作る」。こう意気込んで家業を継いだ店主は、ざる豆腐で店を全国区に押し上げた。温泉湯豆腐は、不況や団体旅行の減少で沈滞ムードが漂っていた嬉野温泉復活の一助になっていた。

 「豆腐1丁を買いに来る高齢者や主婦のために作っている」と、店頭販売にこだわる店主もいた。取材中にも、そうした客が頻繁に訪れていた。全国豆腐連合会からは「豆腐はまだまだ底堅い需要がある」と聞いていた。豆腐が日本人の食生活に根付き、欠かせない食品だということを取材でも、読者の投稿からもあらためて実感した。 =おわり

=2017/09/16付 西日本新聞朝刊=

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