引き揚げた恩師どこに 台北の95歳が「石垣先生」捜す 「もう一度お礼を」

西日本新聞

 台湾が日本に統治されていた約80年前に世話になった日本人の小学校教諭を、台北市の李樹全さん(95)が捜している。恩師の名は石垣朝清さん。進学を諦めた李さんに就職先を紹介し、その後も面倒を見てくれたという。日本に帰国後の消息は不明だが、最近になって、出身地が九州・沖縄だった可能性があることが台湾の記録で判明した。「今の私があるのは先生のおかげ。もう一度お礼を言いたい」と李さん。戦後72年たった今も感謝の気持ちでいっぱいだ。 (台北・中川博之)

 石垣さんは1934、35年度、台北市の南港公学校(現南港国民小学校)で、当時5、6年だった李さんのクラスの担任教諭になった。温厚な人柄で、大声で叱ることもなかったという。成績が優秀な上、同学年で1人だけ6年間無欠席の李さんに進学を勧めたが、7人兄弟の六男で生活に余裕がなかった李さんが進学を断念すると、日本人経営の会社を紹介。7年後、李さんが薬を販売する店舗兼住居を建てると、毎晩のように訪れて「何か困ったことはないか」と気遣ってくれたという。

 終戦後の46年、石垣さんが台湾を去る際に李さんが「大事にお帰りになってください」と、当時貴重だった砂糖を渡すとうれしそうに受け取ったのが最後の思い出となった。47年、火事で全焼した店舗兼住居の再建中、石垣さんの息子が訪ねてきた。しかし、落ち込んでいた李さんはほとんど会話をせず、住所や連絡先を聞き損ねたという。「今思えば、火事を聞き付けた石垣先生が心配して息子さんに台湾まで見に行かせたのだと思う。でも、あの時は途方に暮れ、息子さんと何を話したかも覚えていない」

 働きづめだった李さんは生活が落ち着いた約30年前、石垣さんの消息を同級生などに尋ねたが分からなかった。その後も捜し続けた結果、台湾に残っている当時の日本人の資料に石垣さんの名前を見つけ、本籍地とみられる欄に「沖縄」や「長崎」と記されていたことが分かった。「石垣先生は九州に引き揚げたのかもしれない。このままでは一生後悔する。亡くなっているかもしれないが、墓参りだけでもしたい」と話す。

この記事は2017年09月08日付で、内容は当時のものです。

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