朝倉300年前の水害風化 同じ被災地名、寺の古文書に

西日本新聞

 松末(ますえ)、志波、山田…。7月の九州豪雨で大きな被害が出た福岡県朝倉市内の地名が、300年ほど前に起きた水害の被災状況を記録した古文書にも残されていた。同市宮野の南淋寺が所蔵。今回の豪雨では寺周辺でも犠牲者が出たが、住民の間で過去の水害は知られていなかった。災害史を調べる中で記述を見つけた九州大の西山浩司助教(気象工学)は「過去に目を向け、災害のリスクを住民が認識することが減災への出発点だ」と指摘している。

 古文書は、寺の歴史などを記した「医王山南林寺縁起」。江戸中期の享保5(1720)年6月21日、新暦の7月26日に大雨で土石流や土砂崩れが発生し、「山田古毛田中長淵その外何(ほかいず)れも損失多し」「白木池田松末赤谷志波里城永々の荒所多く」と、具体的な地名を並べて被害をつづっている。

 寺は806年建立で、約700年前から現在地にあるという。古文書によると、寺も井戸が埋まり、山が崩れて橋が流れるなどした。7月の豪雨では建物に大きな被害はなかったが、裏山が崩れて敷地に大量の土砂が流れ込んだ。新野晨祥(しんしょう)住職(59)は「古文書の記述は知らなかった。寺の周辺で洪水が起こるという認識は全くなかった」と話す。

 寺のそばに住んでいた浦塚茂弘さん=当時(70)=は、自宅前で排水作業中に濁流で倒れたブロック塀の下敷きになり亡くなった。「『お父さん』と呼んだけど、一瞬で姿が見えなくなった」と妻のフミ子さん(67)は声を詰まらせた。

 「結婚して住み、40年以上たつけど『水害はないからいいね』と話していた。昔のことは知らなかった」とフミ子さん。300年がたち、水害の歴史は風化してしまっていた。

 豪雨災害は同じ地域でも被害に差があり、広域に被害が生じる地震と比べて市民の記憶に残らず、継承されにくいとされる。西山助教は「過去の災害を知っていれば、平常時から備えられる。寺や資料館などに眠っている古い史料を調べ、誰もがリスクを知ることができるシステムを構築することが大事だ」と話している。

この記事は2017年08月27日付で、内容は当時のものです。

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