お言葉を胸に、生きる 家族3人犠牲の渕上さん両陛下と面会 自責の日々、「心が軽く」 九州豪雨4ヵ月

西日本新聞

 九州豪雨で、臨月だった娘と孫、妻を失った福岡県朝倉市黒川の農業渕上洋さん(65)は、自らを責めてきた。「絶対にお父さんが守るからと娘に言ってたのに」と悔い、深い悲しみに暮れる日々。それが最近になって「頑張って生きなければ」と思えるようになってきた。きっかけは10月27日の天皇、皇后両陛下との面会。温かいお言葉に励まされ、ずっと張っていた気が少し緩んだという。「このままでもいかんから」。何とか自分に区切りをつけようとしている。九州豪雨から5日で4カ月-。

 7月の豪雨で自宅に流木が押し寄せ、里帰り中だった娘の江藤由香理さん=当時(26)=と孫の長男友哉ちゃん=当時(1)、妻麗子さん=当時(63)=が亡くなった。畑に出ていた洋さんと親戚宅にいた母公子さん(88)は助かり、今は3人の遺影とともに、みなし仮設住宅に暮らす。

 自慢の家族だった。陽気な娘は、福岡県農業大学校を卒業後、JA筑前あさくらに入り、農産物販売を担当。いつも笑顔で、産地直売所に商品を持って行くと、みんなに声を掛けられる人気者だった。孫はかわいい盛り。明るい妻は家を守り、料理がうまかった。

 「娘が小学生の頃、絶対におまえを守ると誓ったんです。それができんで…」。豪雨後は、母とナシ園に向かい、収穫に精を出した。区長として地域の復旧の世話役もこなした。忙しくしていれば、現実を忘れられた。ただ、仮住まいに戻れば3人の遺影。それが受け入れられず、仏壇に手を合わせることはできなかった。

 心が押しつぶされそうになっていた9月、朝倉市役所から声が掛かった。被災地入りする天皇、皇后両陛下との面会の打診。「自分の中で何かが変わるだろうか」。そう思いながら10月27日、市杷木支所で、両陛下とお会いした。

 孫の写真入りキーホルダーをバッグに付け、娘のおなかには赤ちゃんがいたことなどを率直に話すと、涙があふれてきた。両陛下から「3人を亡くされ、本当に残念なことでしたね」とお言葉を掛けられると「母がおり、頑張らないといけないと思います」と答えた。同席した遺族5人の話を聞き、つらいのは自分だけじゃないということも分かった。

 緊張の時間は約20分。帰宅後、ようやく仏壇に手を合わせた。「両陛下にお会いしてきたよ」「天国で一緒に遊びよるか」。ふっと心が軽くなったような気がした。渕上さんの表情が少し柔和になったと、周囲も言う。

 11月初旬。ナシの収穫は終わったが、もう来年に向けたナシ園の手入れは始まっている。母を軽トラックに乗せ、「行ってくるね」。3人の遺影に声を掛けられるようにもなった。

 娘によく掛けていた言葉がある。「何事もあきらめたらゼロだぞ」。その言葉を何度も反すうしている。

この記事は2017年11月04日付で、内容は当時のものです。

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