エンプラ「反戦の原点」 佐世保初寄港50年、デモ600回 安保法制、北朝鮮「若者に種火継ぐ」

西日本新聞

「19日佐世保市民の会」の活動を振り返る宮野由美子さん=15日、長崎県佐世保市 拡大

「19日佐世保市民の会」の活動を振り返る宮野由美子さん=15日、長崎県佐世保市

1968年1月19日に入港した米空母エンタープライズを巡り衝突する反対派と警官隊=長崎県佐世保市 昨年12月の「19日佐世保市民の会」のデモ=同市

 あのうねりは、何だったのか-。米原子力空母エンタープライズが長崎県佐世保市の佐世保港に国内初寄港して19日で50年。当時、全国から佐世保に駆け付けた学生らが警官隊と衝突、多くの負傷者や逮捕者を出した。戦後日本を象徴する「エンプラ闘争」だ。集団的自衛権を容認する安全保障法制の整備や緊迫化する北朝鮮情勢など、再び有事が叫ばれる今、当時を知る人たちは、あの「熱」の原点を見つめ直している。

 1968年1月。佐世保の街は、ベトナム戦争反対の叫びがこだまする異様な熱気に包まれた。中心にいたのはヘルメット姿の若者たち。暴力的な闘争に眉をひそめる市民は多かったが、応援する動きもあった。佐世保市の宮野由美子さん(69)は当時、東京の短大生。故郷が戦争に巻き込まれようとする不安で「いても立ってもいられず、東京でも何かしようと」。

 19歳の宮野さんが目指したのは霞が関。寄港阻止のため外務省に突入しようとした。目の前で仲間たちが摘発された。間もなく帰郷。父らが立ち上げた市民団体「19日佐世保市民の会」の一員として、エンプラ寄港の翌月に始まった無言のデモ行進に加わった。

 「平和のために」と記した横断幕を手に、闘争のあった街中をただ歩く。その活動に「生ぬるさ」を感じたこともあった。しかし「激しい運動でなくても意思表示をする気持ちは同じ」と、今は感じる。3年前、安保法制に反対して国会議事堂を若者たちが取り囲んだ光景に半世紀前の自分を重ねる。「若い人の行動が素直にうれしい」

 デモの参加者は少ないときで3人。平均でも十数人と当初の10分の1程度になった。それでも「続けることに意味がある。活動の種火は絶やせない」。19日、600回目の行進に臨む。

 佐世保市出身で長崎市在住の作家大浦ふみ子さん(76)は当時、民放テレビ佐世保支局の営業担当社員。エンプラ寄港に反対する集会にも参加したが、若者たちの運動を「一歩引いた目で見ていた」。道路占拠などの手法に賛同できなかったからだ。

 だが十数年後、被爆地・長崎市に移って被爆者に出会ううち、26歳の自分がエンプラ寄港を、身近な核の問題と意識せず声も上げていなかったことに気付く。

 その思いを2012年、佐世保を舞台に執筆した小説「原潜記者」で、登場する被爆者の言葉に込めた。「(被爆者を)誰も心に留めない。反核を求める原点がそこにあるってのに」。佐世保には今も多くの原子力艦船が入る。エンプラは「昔話」ではないと今の世代に伝えたかった。

 大浦さんも、時折うねりを起こす若者に期待を見いだす。「インターネットでの発信など、やり方や気付き方はいろいろある。まだまだ捨てたもんじゃない」

=2018/01/19付 西日本新聞朝刊=

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