詩人で評論家松永伍一氏から自筆の弔辞 行橋の農民詩人定村比呂志氏へ 定村氏の実家で発見

西日本新聞 北九州版

 大木町出身の詩人で評論家の故松永伍一氏が、交流していた行橋市出身の農民詩人、定村比呂志氏(1912~68、本名浩)が亡くなった際、遺族に宛てた弔辞が見つかった。当時、松永氏は定村氏の作品をテーマにした詩論を執筆しており、関係者は「2人のやりとりがうかがえる資料だ」と話している。

 松永氏は高校在学中に詩人丸山豊に出会い、上京後文筆活動に入った。詩作のほか民俗や宗教などの評論にも携わり、全5巻の詩論「日本農民詩史」などを執筆。本紙でも、随筆「卓上噴水」(85年11月~86年2月)を連載したほか、西日本読者文芸の詩の選者も務め、2008年3月に亡くなった。

 一方、定村氏は昭和初期の農民が搾取される姿を通して命の尊さを説いた詩で知られる。詩集「廃園の血脈」(1934年)は時代を批判して発禁処分になった。昨年12月には五十回忌に寄せて顕彰朗読会が行橋市内であった。

 弔辞は、昨秋ごろ行橋市下稗田の定村氏の実家で見つかった。定村氏の長男幹生氏=2012年死去=の妻靖子さん(81)によると、松永氏の弔辞は、幹生氏がはがきで父の死を知らせたことがきっかけ。400字詰め原稿用紙6枚に万年筆で書かれ、日付は3月12日付。定村氏の死から10日たっていた。

 弔辞で松永氏は突然の訃報に「福岡県が生んだ戦前の唯一の農民詩人であったあなたへの私のおもいは、非常に深いものがありました」と胸の内を吐露。さらに、「日本農民詩史」の中巻に盛り込むため執筆した原稿用紙40枚に上る「定村比呂志の反逆性」に触れ、「中巻をお目にかけることができなかったのが悔やまれてなりません」と結んでいる。

 定村氏の評論を書いた育徳館中学校・高校(みやこ町豊津)の小正路淑泰(こしょうじとしやす)校長(56)は松永氏について、取り上げる詩人に関しては同人誌レベルまで丁寧に読み込むと指摘。「定村氏から資料の提供を受けていたと思う。定村氏の作品に共鳴していた証しだ」と話している。

=2018/01/19付 西日本新聞朝刊=

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