フォーク編<365>大塚博堂(17)

西日本新聞

 「いつか一緒にやろう」

 大塚博堂は渡辺プロダクション(ナベプロ)の新年会で顔を会わす度に、ギタリストの岩村義道(69)=富山県射水市=に声をかけた。

 岩村は博堂のあとを追うように福岡市から1973年に上京した。同じナベプロに所属しながら会うのはこの新年会だけだった。2人は博多時代、クラブの仕事が終わった後、気の合った仲間が集うジャムセッションで知り合った。

 「一緒に」という言葉は76年に実現する。博堂の誘いでコンビを組み、初めてのコンサートツアーを開始した。大塚はこの年、シンガー・ソングライターとしてファーストアルバム「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」(日本フォノグラム)をリリースした。そのアルバム曲を聴いてもらうためのツアーだった。

   ×    ×

 フォークと出合った大塚はこのように新しい一歩を踏み出した。芸名の大塚たけしを捨て、本名の博堂(ひろたか)を音読みした「はくどう」にした。「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」は30歳を超えた博堂にとっては背水の陣であり、最後の賭けともいえた。

 この曲はアルバムの前にシングル盤として発売している。実質的なデビュー作だ。岩村は「大塚さんは曲作りには相当、苦しんでいたようです」と語る。「作詞は苦手だ」と周辺に話しているように、大塚にとって作詞が一つのカギを握っていた。

 ある日、大塚は書店で偶然、藤公之介詩集を手に取った。その中に「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」があった。

 〈テレビの名画劇場で 「ジョンとメリー」を見たよ ダスティン・ホフマンが主演の行きずりの恋のお話さ…〉

 〈君と一緒に見に行った「卒業」をおぼえているかい 花嫁を奪って逃げる
 ラスト・シーンが心にしみたね…〉

 米国映画「ジョンとメリー」「卒業」は俳優、ダスティン・ホフマンの主演作品である。両作品は60年代後半を代表する青春、恋愛映画だ。それをうまく盛り込んだ詩だった。

 「私が求めていたラブソングにふさわしい」

 博堂は岩村にこう語っている。博堂は「愛を歌う吟遊詩人」と呼ばれるようになるが、青春、失恋、感傷などをテーマにした博堂の世界の原型はすでにこの曲の中に表現されている。ただ、すぐに博堂の名前が知れ渡っただけではない。

 二人の最初のコンサートは神奈川県川崎市だった。主催は「勤労者音楽協議会」(労音)で、会員向けのコンサートだった。岩村は言った。

 「今もよく覚えていますが、お客さんは5人でした」

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2018/01/22付 西日本新聞夕刊=

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