益城町の再生撮り続け 写真館経営の林さん 4月に写真集

西日本新聞

 熊本地震で2度の震度7に見舞われた益城町で、唯一の写真館「益城カメラ」を営む林真二さん(59)は、地震直後から町の姿を写し続けている。倒壊した家屋や解体後の更地…。「復興が進むにつれ、かつての景色やにおい、息づかいが思い出せなくなる。みんなが町を忘れないために」。撮影した写真は1万5千枚を超えた。きょうも、シャッターを切る。

 前震が発生した2016年4月14日夜。林さんは妻の君子さん(59)、長女の真紀さん(31)と同町木山の店舗兼自宅にいた。

 突然のすさまじい揺れ。避難のため外に出ると、見慣れた風景は一変していた。3軒隣では、高齢女性とその息子が倒壊家屋の下敷きになり亡くなった。孫の入学式や七五三のとき、林さんの店で家族写真を撮影していた。

 近くの住宅は1階がつぶれ、女性が取り残された。成人式のときに撮影したことがあった。「大丈夫か」。女性の両親が現場で声を掛け続けていた。約6時間後、消防隊員に救助されると、近くで見守った林さんたちも自然と拍手をした。

 林さんが人生の節目を写してきた町の住民たちが命を落とし、危険な目に遭った。「こんなひどい地震は体験したことがない。この状況を撮っておこう」。そんな気持ちに動かされ、翌朝早く店に戻り、散乱した機材の中から2台のカメラを取り出して、町に出た。

 16日未明、再び震度7の本震が町を襲う。ガシャガシャと家の瓦が崩れ落ちる大きな音。避難先にいた林さんが飛び出すと、霧がかかったような白い煙があちこちで見えた。林さんの築24年の自宅も全壊した。

   □    □   

 車中泊や地震後に町にできた「テント村」で避難生活を送り、熊本市のみなし仮設に移ってからも、弁当を持って町を撮り歩いた。

 つぶれても傾いても、住民には愛着がある家や店。「倒れる前にうちも撮っておいて」。行く先々で声を掛けられた。疲れ果てて芝生に寝転ぶ住民、ごった返す避難所、重機がうなる復旧工事…。ありのままを写した。ただ、人物はあまり入れなかった。「私も被災者。みな同じ状況。顔では笑っていても内心つらい。将来への不安や痛みがあるから」

 熊本市出身の林さんは、益城町出身の君子さんとの結婚を機に27歳で町に移り住んだが、丹念に歩いたことはなかった。「こんなところにほこらがあるんだ」。小さな発見もあった。

 1986年に開いた店は畳むつもりだった。スタジオや機材を再びそろえる資金のあてはなかった。一方で常連客から「いつ再開すると」「写真がプリントできんで困っとるよ」と言われ、うれしさと寂しさが交錯した。地震の2カ月後、税務署に廃業届を提出した。しばらくして、店から運び出したまだ新しい業務用プリンターを立ち上げてみると、5時間かかって動きだした。「やってみようかな」。老後のための蓄えを取り崩し、昨年3月に自宅兼店舗を再建。2カ月後に営業を再開した。

   □    □   

 林さんの店は、町と県が進める中心部の区画整理事業の事業区域に入っている。今年1月17日、林さんたちは阪神大震災で被災した神戸市を視察した。復興を遂げた街に震災の爪痕は無い。それでも、追悼の集いで手を合わせる大勢の住民を見て、「23年たっても心の中にあの時の気持ちが色濃く残っている。やはり忘れてはいけない」との思いを強くした。

 撮りためた写真はこれまで東京や岡山であった催しで紹介された。地震から2年の4月に写真集を自費出版する。「以前の町の姿は時がたてば忘れられてしまう。20年、30年したら町のイメージもだいぶ変わっていると思うから」。住民の応援にも後押しされた。

 倒壊家屋はほぼ解体され、町は更地が目立つ。「まだまだ復興は道半ば」と実感する。これからも“相棒”の2台のカメラで撮り続ける。「町の人たちが元の生活に戻り、新たな門出を祝えるようになる日まで。私のライフワークですね」

=2018/01/25付 西日本新聞朝刊=

熊本総局が移転しました

熊本総局 移転先地図

西日本新聞熊本総局が移転しました。新しい総局は、熊本市中央区の熊本桜町バスターミナルに近い坪井川沿いです。電話、FAX番号も変更となりました。

▼移転先
住所 〒860―0805 熊本市中央区桜町2番17号第2甲斐田ビル9階
電話 096(323)1851
FAX 096(323)1853

熊本県の天気予報

PR

熊本 アクセスランキング

PR

注目のテーマ