西郷どん、実は親韓論者だった? 定説『征韓論』に一石 28年前の大河ドラマ放映時にも論争

西日本新聞

 NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が始まり、明治維新の立役者の一人、西郷隆盛に注目が集まる中、西郷が政治の表舞台から退くきっかけになった「征韓論」を問う漫画「本当の征韓論を語ろう~『征韓論』は『親韓論』だった~」が刊行された。研究者の間では征韓ではなく、平和的交渉を目指し朝鮮に使節派遣を主張した「遣韓」との見方もある。漫画は親しく手を組もうとしたとの意味を込めた新たな造語で「親韓論」を投げ掛ける。28年前の大河ドラマ「翔ぶが如く」放映時にも征韓論を巡る論争が起きており、再び論争が巻き起こるかもしれない。

 「西郷さんは親愛の情で朝鮮に接しようとしていた。征服なんて考えは持っておらず、親韓論者だった」。鹿児島県内でも西郷を詳しく教えていないと憂え、漫画を自費出版した同県霧島市の会社社長、山元正博さん(67)は力を込める。

 征韓論の通説は、武力で朝鮮に開国を迫る主張のこと。西郷は使節として赴き、殺害されれば武力行使の大義名分になると考えたとされる。「遣韓論」は1980年代に一部伝記で現れ、鹿児島市教育委員会は84年作成の教材から表記を「遣韓論に敗れ-」と書き換えた。これに歴史家らが「西郷美化」と反発。市は90年に「朝鮮問題に敗れ-」と変更した。日韓首脳会談が同県であった2004年には、西郷の出身地での会談に反対する声が韓国政府内で上がった。

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 鹿児島市城山町に立つ軍服姿の西郷像。案内板には「遣韓使節をめぐる政争に敗れて~」とある。「市の案内板表記はこの見解で統一している」(的場睦夫・維新ふるさと館館長)ため、市内の施設で「征韓論」の文字はほとんど見られない。県歴史資料センター黎明館は1873年の政府内対立を「遣韓派」と「内治派」と表記。観光客からは「鹿児島の人は西郷びいきだから」との声もあるという。県立図書館の企画展は「朝鮮問題」と表現。担当者は「『征韓』『遣韓』とはっきり打ち出すのは難しい。オブラートに包んでいる」と打ち明けた。

 鹿児島県は2006年と11年、高校の日本史教科書を出版する7社に「遣韓論」の併記や「学説上、遣韓論に立つ見方も有力」との注釈を入れるよう要請。1社が「西郷は征韓論を唱えた」の記述を削除したが、大半は「征韓」論者の立場をとる。

 「西郷どん」の時代考証を担当する志学館大の原口泉教授は「当時、征韓という考え方は国民に認識されていた」と指摘した上で「西郷はロシアの脅威に連携して対抗しようと考えた遣韓論だった」と主張。「親韓論」を「良い言葉で真意をついている」と評価し「征韓論者ではないとの理解者を増やしたい」と語る。

 一方、明治維新史学会事務局長で明治大の落合弘樹教授は「鹿児島県外の研究者で遣韓論をとる人は少ない。西郷がどこを目指そうとしていたのかなど考えが分かりにくいために議論がまとまらない」と指摘している。

=2018/01/25付 西日本新聞夕刊=

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