評伝 石牟礼道子さん 患者の尊厳思い寄せ 「記録しなければ」怒り原点

 「水俣」を、そして文明の危うさを書き続けた作家石牟礼道子さんが亡くなった。水俣病と、それを引き起こした企業や行政の振る舞い、がむしゃらな経済優先の時代の病巣を見つめ、そこからの思いを1本のペンに宿した人生だった。言いようのない喪失感を覚える作家の死である。

 石牟礼さんは文学少女として水俣に育った。10代半ばから歌を詠み、詩作に親しんだ。結婚し、地元で家庭を持つ。その文学好きの一主婦が、足元で起きたすさまじい公害事件と出合ったことで、常ならぬ道を歩くことになる。

 水俣病公式確認から3年後の1959年、石牟礼さんは見舞いのため水俣市立病院の水俣病特別病棟を訪ねた。そこで見た患者たちの姿に「水俣病事件に悶々(もんもん)たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならぬ」という衝動にかられる。そして「苦海浄土(くがいじょうど)」が生まれた。

 激しくけいれんし、苦悶(くもん)の爪痕を壁に残した初期患者の悲惨な病状。豊かな海と、漁に生きる暮らしと、地域社会を破壊した公害事件の正体。壊され失われたものへの、いとおしみ…。それらを、類いまれな表現力で描き出した主婦作家の一冊を通して、多くの人が「水俣」を知った。

 「ほんに海の上はよかった。うちゃ、どうしてもこうしても、もういっぺん元の体にかえしてもろて、自分で舟漕(こ)いで働こうごたる。いまは、うちゃほんに情なか。月のもんも自分で始末しきれん女ごになったもね…」

 同書の「ゆき女きき書」の一節からは、人としての幸せと尊厳を奪われた被害民の、言葉にできなかった深い悲しみ、凝縮された無念が、じかに伝わる。石牟礼文学はそのように読者の心をつかみ、読者は水俣という世界に触れていく。

 「祈るべき天とおもえど天の病む」

 これは水俣病第1次訴訟の判決が下った73年、新聞に載った寄稿記事の題に石牟礼さんがつけたものだ。翌年出版の「実録水俣病闘争-天の病む」にも、同じその言葉が記されている。時代は公害のさなかにあった。「世界全部が病んでいる。それで天に祈りたいんだけど、天も病んでいるんでしょう」。その思いが表出した。

 水俣を離れて熊本市の仕事場で執筆活動を続けた石牟礼さんは、晩年、パーキンソン病と闘った。「物を握っているとき、感じがないんです。分厚い手袋をしているようで、ペンを握ると、ぽとっと落ちる」

 一方で「水俣病の患者さんが言われるのと同じような症状があります。(魚を)食べてますからね。でも(新聞には)書かんでください。水俣病には散々苦労してきましたから」。

 訃報に接し、その言葉を思い出す。

=2018/02/11付 西日本新聞朝刊=

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