捕鯨の島に観音像 唐津市小川島 小城・砥川石工棟梁平川与四右衛門制作 子孫らツアー組み訪問

 近世から昭和30年代にかけて沿岸捕鯨の基地として栄えた唐津市の小川島に、島民の尊崇を集める石仏がある。小城市牛津町上砥川(とがわ)出身の石工の棟梁(とうりょう)、平川与四右衛門が1689(元禄2)年に彫った観音座像だ。その与四右衛門を主人公にした地域映画「ふたつの巨星 善蔵と与四右衛門」を製作した牛津町の住民グループが18日、先人の足跡をたどろうとバスツアーを組んで島を訪れた。

 穏やかな陽光に波光がきらめく。呼子港から定期船で約20分。周囲約4キロの離島は春がすみのかなたにあった。港に着くと、宗像三女神を祭った田嶋神社の鳥居がそびえ立っていた。出迎えてくれた島の区長、渡辺保晴さん(67)の案内で、一行30人は中腹にある観音堂へ路地を進んだ。

 「昔は地区対抗の小中学生リレーの代表に選ばれると、優勝とけがのないことを願って中学生の引率でお参りに来たもんです」。渡辺さんが説明する。

 島の人口はカタクチイワシ漁が盛んだった昭和30年代の3分の1の約370人。児童生徒のリレーは絶えてしまったが、受験、就職、病気平癒…。人生の節目ごとに今も、島民はお堂に足を向ける。

 対面した観音像は想像していたより大柄で、柔和な顔立ちに気品が漂う。れんげ座や着衣の所々に赤い顔料が残り、六角形をした台座には「作者肥前戸川住人平川与四右衛門」の銘が刻まれていた。

 与四右衛門は17世紀末、石工の里・上砥川の谷集落に彗星(すいせい)のごとく現れた天才石工だ。3代約70年間にわたる活動で、シャープで精巧な彫りが際立つ石仏40体を北部九州一帯に残した。

 ツアーには谷集落の住民16人も加わった。その一人、平川まゆみさん(62)は「交通の不便な時代に砥川からここまで来て、石仏を刻んだ先祖の思いと業績を伝えていかなければと、改めて感じました」と話した。

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 ツアーは、2016年8月の小川島ロケが契機となった。

 映画の中で、若き日の与四右衛門は観音像を彫るため小川島に滞在し、島長(しまおさ)の娘イソとひそかに思いを寄せ合う仲となる。だがイソには縁談が持ち上がり、与四右衛門は彫り上げた観音像にイソの面影を残し、泣く泣く島を去った。

 「撮影時は海が荒れていたが、漁船を出してもらい、船頭役を演じてもらった。島民の協力なくして映画はできなかった」。ツアーの企画者で、映画の監督を務めた元サガテレビディレクター田中正照さん(64)は振り返った。

 最後に一行は、昭和初期に建てられた山見小屋を見学した。玄界灘が見渡せる小高い丘に位置し、秋から春にかけての漁期になると、沖合を回遊するクジラの潮吹きを数人がかりで細長い窓から見張ったという。

 捕鯨と観音像-。実は、両者の間には密接な関わりがある。観音像の台座には、小川島周辺でいち早く捕鯨を手掛けた大村藩(長崎県)の鯨組主、深沢儀太夫の戒名が刻まれていた。クジラ取りは死と隣り合わせ。鯨組の人々は盛名をはせた与四右衛門に観音像制作を頼み、その端正な姿に漁の安全と大漁を一心に祈ったのだろう。

=2018/02/25付 西日本新聞朝刊=

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