<1>初挑戦 勝っちゃった

西日本新聞

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 何から何までうまくいく日って、誰の人生にも1度はあると思うのですが、私にとっては、まさにあの日がそうでした。今から26年も前、1992年1月26日のこと。国内外の有力ランナーが集まった大阪国際女子マラソンで、ぶっちぎりで初優勝したのです。「自分のペースで気持ちよく走っていたら、勝っちゃった」-。そんな感じでした。

 この時、私はまだ20歳。ダイハツ(大阪)陸上部に入って2年目で、42・195キロのマラソンは初挑戦でした。そんな無名の選手がいきなり、2時間26分26秒の日本最高記録(当時)を出して、初マラソン世界最高記録(当時)のおまけまで付いたのです。マスコミは私を「シンデレラガール」ともてはやしました。

 私はとんとん拍子で、同年夏のバルセロナ五輪代表に選ばれました。この時の代表選考では、有森裕子さん(リクルート)と松野明美さん(ニコニコドー)が激しくしのぎを削りましたので、記憶にある読者の方も多いと思います。

 でも、残念ながら、私のピークはそこまで。暑さとの戦いになった五輪では29位と惨敗。軽い引きこもりやキャンパスライフを経験した後、拠点を福岡市に移して再起を図りましたが、再び注目を集めるような結果は残せませんでした。

 そして今、私は福岡市で保険外交員として働きながら、2人の男の子を育てています。パートナーだった1歳上の男性が4年前に急死したのです。女性1人の子育ては大変ですが、たくさんの方の支えに助けられています。

 もちろん、走ることにはいろんな形で関わり続けていますよ。福岡マラソンのゲストランナーを務めたり、障害者の伴走活動をしたりして、体がいくつあっても足りないほどです。

 そんな私が読者の皆さんに何をお伝えすればいいのか-。考えてみて、私の人生がまさに「山あり谷あり」だったことに、思い当たりました。その一部始終を話すことで、挫折した人、子育てする人、引きこもりの人、肉親の喪失を悲しむ人、働く女性など、いろんな立場の人にエールを届けられたらと思うのです。

 波瀾(はらん)万丈の人生で支えになったのは走ること。レースでは集団に身を潜め力を蓄えるより、風よけにされてもいいから、先頭で力いっぱい風を切るのが好きでした。風を感じながら走るのって爽快ですよ。「人生走快(そうかい)」の始まりです。

=2018/04/02付 西日本新聞朝刊=

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