「肩書だけじゃない生き方」元エリート第二の人生 大学職員に転身したキリン元執行役員

西日本新聞

 長崎国際大(佐世保市)の職員栗原邦夫さん(59)はキリングループ執行役員を務め、将来を嘱望されたエリートだった。だが早期退職の道を選び、かつて勤務した長崎で第二の人生を送っている。自らの生活を充実させ、未来ある地域の子どもたちの力になりたいという思いからだ。

 2015年に同大に転職して4年目。学生が住民と交流を深める地域連携室に所属し、野球部の総監督も務める。高校球児で慶応大時代は二塁手として鳴らし、東京六大学野球の立教大戦で本塁打も放った実績と、グループのキリンビールで人事労務を担当した経験を生かし、部員の就職相談に乗る。

 生まれも育ちも東京。キリンビールでは大阪、福岡などを経て42歳の時、長崎支社長に就任。以前から「文化や歴史に憧れがあった」。キリンは、長崎が発祥の地である三菱の系列。幕末の英国商人グラバーがキリンビール前身のジャパン・ブルワリーの設立にかかわったことなどにも引き寄せられた。

 充実した4年9カ月の勤務。中国の伝統行事「中秋節」に合わせ、地元団体などとともに長崎市の新地中華街でのイベント立ち上げに協力した。「文化、食べ物の全てが気に入った。よそ者を受け入れる温かみがある」。いつか戻って恩返しをしたい気持ちは強く残った。

 同時に「肩書だけじゃない生き方をしてみたい」。47歳からノートに付けていた「私の履歴書」。これまでの人生を振り返り、目指す人生をつづった。「キリンビールの看板には本当に感謝している。ただ全く関係ない生き方があっても」

 福岡での九州統括本部長を経て東京勤務が決まっていた11年3月、東日本大震災が起きた。仙台工場が被災し、事務棟屋上で481人の社員らが助けを求める姿を見た。すぐに対策本部事務局長を任され、休む間もなく働いた。地域貢献の担当本部長も兼務し、復興支援では、現地産の果実で缶チューハイを製造する一方、日本サッカー協会と共同で香川真司選手らスター選手を招き、サッカー教室を開いた。「子どもたちの笑顔が輝いていた。スポーツの力を知った」。こうした経験も、地域貢献とスポーツが絡んだ第二の人生を後押しした。

 その後、執行役員に就いたが、56歳で「私の履歴書」に記した早期退職を実行に移した。「上司にものすごく怒られたけど、わがままを貫かせてくれた」。長崎勤務時代で知り合った経営者の紹介もあり、長崎国際大への就職が決まった。2人の子どもも就職し、妻を自宅のある福岡に残して単身赴任。県の移住推進アドバイザーを務め、住民票も移しすっかり長崎人だ。

 辞める際、激怒した上司と長崎で再会した。充実した顔を見て「これが君が思ってきた人生かあ」と認めてくれた。自ら納得する生き方に価値を求め、5月に還暦を迎える。間違ってなかった。「人生二毛作。一粒で二度おいしい」と穏やかな顔で笑った。

=2018/04/13付 西日本新聞朝刊=

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