<19>驚きの「私を選んで」

西日本新聞

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1992年3月、バルセロナ五輪まであと5カ月。私は実家での静養を終え、ダイハツ陸上部の練習に復帰しましたが、調子は上がりませんでした。6キロほど増えた体重がうまく落とせない。体が重いから、思う通りの走りができない‐。その悪循環です。

 10日ほどたち、海外高地トレーニングに出発しました。目的地は米国ニューメキシコ州のグランツ。優勝した大阪国際女子マラソンの直前に合宿した、験のいい土地です。そこで一から鍛えて走りを立て直すのが目的でしたが、鈴木従道(つぐみち)監督の頭にはもっと大きな狙いがあったようです。それは、私を国内の雑音から遠ざけることでした。

 日本陸上競技連盟はこの月の28日、五輪女子マラソン代表の残り2人を発表することにしていました。大阪で優勝した私は当確で、最後の1枠を世界陸上4位の有森裕子さん(リクルート)と、大阪で2位の松野明美さん(ニコニコドー)が争う構図。どちらを選ぶべきか。マスコミの報道は過熱していました。

 そんな中、松野さんの側が前代未聞の行動に出ます。代表発表の2日前、記者会見を開き、松野さんが自分の口で「私を選んでください」とアピールしたのです。「私はメダルを取る自信があります。強い人を選んでください」と言い切りました。米国にいた私は後から知ったのですが、何という強さでしょうか。

 そして、28日に陸連が発表した代表は、私と有森さんでした。松野さんは泣き崩れ、会見場にも現れなかったそうです。大阪では私に敗れましたが、タイムでは有森さんを上回っていました。3人目は自分、と信じていたのでしょう。

 松野さんと有森さんはその後、確執がささやかれていましたが、2011年にテレビ番組の収録で再会。松野さんはこの後、「つらかったのは私だけじゃなかったと分かって良かった」と、有森さんに電報を送ったそうです。このことを知った時、私も胸のつかえが取れた思いでした。

 ちなみに私も10年ほど前、松野さんと番組で共演したことがあります。アイドルと組んでの二人三脚勝負で、もちろん私がまた勝ちました。ただ、あの相変わらずの元気さには、圧倒されましたね。松野さんは2人目のお子さんがダウン症であることを公表して政治の道へ。今は熊本県議を務めています。またお会いしてあの早口のおしゃべりが聞きたいな、と思います。

=2018/04/24付 西日本新聞朝刊=

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