<22>五輪辞退報道 騒動に

西日本新聞

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1992年6月末、米国まで飛んできてくれた中学時代の恩師、荻野卓(たかし)先生に諭されて、私はバルセロナ五輪に出場することを決心しました。ところが、その直後、日本では大騒動が起こっていました。「小鴨、肝機能低下で五輪出場辞退も」という記事が、ある新聞に載ったのです。

 実は、荻野先生が来られた時に、この新聞の記者もたまたま合宿の取材に訪れていました。鈴木従道(つぐみち)監督は私が五輪に出ないと言いだした事実を隠そうと、「少し肝臓の数値が悪かったので、念のために日本から主治医に来てもらっただけ」とごまかしたそうです。ところが、渡米前の記録会がひどい成績だったことも重なって、マスコミは一斉に、私が五輪出場の瀬戸際にある、と報じました。

 そこで、私たちは米国合宿を切り上げ、7月3日、日本へ緊急帰国しました。日本陸上競技連盟に監督が直接、私の状態を説明するのが目的でした。飛行機を降りると、空港の出口にカメラがずらっと並んでいました。「五輪ってこれほど注目されるんだ」と驚き、ちょっと怖くなったのを覚えています。「本当に出るんですか」。報道陣の厳しい問い掛けには一切答えず、表情を固くして車に乗り込みました。

 鈴木監督が陸連に「小鴨は大丈夫です」と力説し、陸連も会見で辞退報道を強く否定してくれたおかげで、騒動は程なく収束しました。「五輪は大阪で頑張ったご褒美と思って走ればいいから」。そこまで言ってくださった陸連関係者と監督に、今では感謝しています。

 五輪のマラソンは両親のために走る。そう思い定めてから、私の心は日に日に軽くなりました。慣れ親しんだホーム、大阪での練習は快調に進みました。しっかり食べ、しっかり走り、しっかり寝る。その繰り返しで、私の心と体は少しずつよみがえっていきました。もちろん、ピークまでもっていくのは無理ですが、ここまで来ればまな板の上のコイです。私はスタートラインに立つのが待ちきれない心境でした。

 7月25日、バルセロナ五輪の開幕日に、私は山下佐知子さん(京セラ)、有森裕子さん(リクルート)と、成田からロンドンへ出発しました。バルセロナより涼しい所で最終調整するのが目的でした。そして29日にバルセロナ入りし、翌日には選手村で記者会見。私は「自分の力を出し切るだけです」と言い切りました。

=2018/04/27付 西日本新聞朝刊=

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