<24>10キロ地点 トップ通過

西日本新聞

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1992年8月1日、地中海に面した海洋都市、バルセロナに真夏の太陽が昇りました。バルセロナ五輪女子マラソンの日です。代表選手の記者会見で「あとは自分の力を全部出し切るだけです」と言い切っていた私は、爽やかな気持ちで、この日を迎えました。

 この時、私と山下佐知子さん(京セラ)、有森裕子さん(リクルート)の代表3人は、バルセロナ市内のホテルに宿泊していました。選手村の部屋にはクーラーがなかったので、日本陸上競技連盟が手配してくれたのです。

 しっかり昼食を取った後、私は鈴木従道(つぐみち)監督とタクシーでスタート地点のマタロへ向かいました。バルセロナ中心部から数十キロの港町です。ところが、タクシーに冷房がなくて、乗っているだけで汗びっしょりになりました。レースは日差しが弱まる午後6時半のスタートでしたが、先が思いやられる感じでした。

 思えば、マラソンで暑さ対策が重視されるようになったのは、このバルセロナからではないでしょうか。出場選手もいろんな工夫をしていました。つばを後ろにして帽子をかぶったり、ゼッケンに穴を開けて少しでも通気性を良くしたり…。私も、初めてサングラスをかけました。終盤のドリンクは少しでも疲労回復を図ろうと、ちょっと甘めのレモン味にしました。

 スタート直前の気温は、夕方なのにまだ32度あります。広い4車線道路に西日が照りつけます。優勝候補筆頭のパンフィルさん(ポーランド)をはじめ、ドーレさん(ドイツ)、モラーさん(ニュージーランド)、エゴロワさん(EUN=旧ソ連)ら世界の強豪がそろいました。私はその中で最年少の20歳です。

 号砲が鳴った瞬間、私は飛び出しました。自分ではそんなつもりはなかったのですが、暑さで皆が自重したため、自然にトップを走ることになったのです。十分な走り込みができていなかった分、足が軽かったということもあります。ただ、最後までスタミナが持つかは不安いっぱいでした。

 地中海の海風を受けながら、私は一本道をひた走ります。5キロ、10キロ地点をトップで通過しました。そのあたりから、後方の集団がじわじわと差を詰めてきます。15キロ付近で吸収され、「もう限界」と諦めかけた時、沿道から「小鴨、粘れー」と声援が聞こえました。聞き覚えのあるがらがら声。中学時代の恩師、荻野卓(たかし)先生でした。

=2018/04/30付 西日本新聞朝刊=

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