「ひろしま」熱演しのぶ 編集委員 上別府 保慶

西日本新聞

 宝塚歌劇団の娘役だった月丘夢路さんは、その「たぐいまれな美貌」によって、戦時中から映画に出てヒットを飛ばしたスターだった。戦争に負けた日本が主権を回復した1952年、松竹に所属する月丘さんのもとへ、広島原爆がテーマの映画出演の話が舞い込んだ。松竹はそれが日教組の独立プロ作品と聞いて渋ったが、月丘さんは松竹を説得して引き受けた。実家が広島の爆心地にあったためだ。

 「ひろしま」と題するこの作品は、被爆した子供たちの作文集「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」を基に脚本が練られ、映画「日本戦歿(せんぼつ)学生の手記 きけ、わだつみの声」の関川秀雄監督がメガホンを取った。

 「ひろしま」は全シーンの半分以上で原爆投下直後の地獄絵図が再現され、モノクロながら犠牲者が流す血が赤く見えてくる。教師役の月丘さんは女子生徒を連れて火中を逃げ惑い、最後は熱を避けてなだれ込んだ川で息絶える迫真の演技を見せている。

 延べ8万人の広島市民もエキストラとして協力した「ひろしま」は翌年に完成したが全国公開には至らなかった。逆風は英国から吹いた。月丘さんらが川に逃れた場面のスチールを入手した記者が、映画を見ぬまま批判記事を書いたのだ。いわく、日本人は戦争を始めた上に戦後復興で援助を受けながら、英米への憎しみをあおっていると。

 この記事のことは日本の新聞にも載った。占領軍の検閲がやっと終わった後だけに、配給を頼まれた松竹は「反米」と取られかねないシーンの削除を製作側に要求した。

 それは、原爆を落としたB29の操縦士が、これは真珠湾攻撃などに対する報復であり、日本人に「誰が哀れみと同情を感じようか」と語った言葉がラジオで流れる場面。続いて、同じ敗戦国ドイツの青年が「罪のない日本人が新兵器のモルモット実験に使われた」のは「有色人種だから」と批判した話を、広島の高校生が朗読する場面などだ。

 結局、製作側はカットを認めず、「ひろしま」は自主上映の形で限られた観客しか見ることができなかった。その後、月丘さんは日米間に就航した旅客機の初乗りに招待されながら、「ひろしま」出演が問題視されて話は流れた。作曲家の伊福部昭さんが魂を込めた劇中曲も埋もれたが、54年に公開された原水爆批判の映画「ゴジラ」で、被災者の収容施設で流れる「帝都の惨状」などに転用された。

 「ひろしま」は波乱を越え今はDVDがある。昨年5月3日に月丘さんが死去して1年。平和を願う熱演をぜひ。

=2018/05/03付 西日本新聞朝刊=

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