<29>引きこもり暴飲暴食

西日本新聞

●バルセロナ五輪女子マラソン日本代表 小鴨 由水さん

 1993年3月、ダイハツを退社して兵庫県明石市の実家に戻った私は、燃え尽き症候群のような状態に陥っていました。誰もいない家で午前10時ごろに起きると、朝昼兼用の食事を食べ、テレビのお笑い番組や昼ドラを見て、ぼんやり過ごす日々。何をする気も起こらず、一日中、家に引きこもっていました。

 実は五輪に出て少し有名になってから、道端で擦れ違った人が「あっ」と声を上げるようになりました。絶えず自分が見られている気がして、外出するのがおっくうになったのです。

 3年間の厳しい食事制限の反動から、食べることにも歯止めが利かなくなりました。食パンにジャムやマヨネーズを塗って、1袋分を一気に食べました。チョコレートやキャラメルも食べ始めると止まりません。味はともかく、何か食べていないと安心できないのです。体重もぐんぐん増えて、80キロ近くになったでしょうか。これじゃ余計に外に出られませんよね。

 一人で没頭したのがピアノを弾くこと。私は中学校までピアノを習っていて、そこそこの腕前でした。陸上の大会とピアノの発表会が重なったのを機に、ピアノを諦めて陸上に専念したのです。ドビュッシー、シューベルトなど、昔、みっちり練習した曲は、手がメロディーを覚えています。ひたすら鍵盤をたたくうちに、心のもやもやが少し晴れました。「もし陸上でなく、ピアノを選んでいたら…」なんて思ったりもしました。

 そんな私を心配してくれたのが、中学時代の恩師、荻野卓(たかし)先生でした。週に1回、昼休みに学校を抜け出してきて、私を近くの喫茶店に連れ出すのです。2人でコーヒーを飲みながら、大した話をするわけではありません。先生は私の暴飲暴食をとがめるでもなく、「今どうしてる」とか、ぼそぼそっと聞くだけです。後から聞いた話では、先生は東京五輪のマラソン銅メダリスト、円谷幸吉さんが自殺したことを思い出して、私もそうならないように目配りしていたそうです。先生には足を向けて寝られませんね。

 「そろそろ新しいことを始めないと」。そう考えた私は、学校側からの誘いもあり、龍谷大短期大学部(京都市)社会福祉科に社会人推薦で入学し、保育士の資格を取ることにしました。母が幼稚園教諭でしたし、特技のピアノも生かせると考えたのです。ずっと憧れていた「キャンパスライフ」の始まりです。

=2018/05/05付 西日本新聞朝刊=

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