有田出身の連合艦隊司令長官、古賀元帥「地元挙げ顕彰を」 町に慰霊祭主催要請へ

西日本新聞

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古賀峯一元帥

慰霊祭で式辞を述べる井上萬二さん 有田町泉山にある古賀元帥の生家

 有田町出身で山本五十六亡き後に連合艦隊司令長官をつとめた古賀峯一元帥(1885~1944)の第39回慰霊祭が12日、同町であった。人間国宝の井上萬二さん(89)が会長を務める顕彰会が毎年主催しているが高齢化などで会員は減少。来年の40回記念祭を前に井上さんは「今後は町主催にするなど地元一体で顕彰してほしい」と訴える。

 12日午後1時、同町の陶山神社にある古賀元帥慰霊碑前で行った慰霊祭には、山口祥義知事をはじめ約150人が参列。海上自衛隊がバン、バンと弔銃を打つと、会場は厳粛な空気に包まれ、神事や有田工業高の鎮魂歌演奏が続いた。会長の井上さんは慰霊祭の式辞で古賀元帥をしのびつつ「平和な日本が永遠に続くことを祈り、若くして散華した戦友達の鎮魂の場となれば」と声を震わせた。

 古賀元帥は1885年、有田町泉山生まれ。海軍兵学校で学びフランス大使館付き武官となり、1927年に日米英によるジュネーブ海軍軍縮会議に平和条約実施委員として参加した。43年に山本五十六の戦死を受け連合艦隊司令長官になったが、翌年南方を飛行中に暴風雨に遭い、消息を絶った。有田町歴史民俗資料館の尾崎葉子館長(62)は「古賀元帥は海外勤務を経験して国際感覚があり、戦況を冷静に見据え、英米との戦争には反対していた」と指摘する。

 山本五十六の陰で一般にはあまり知られて来なかったが、戦後、地元の海軍出身者たちが顕彰活動を進めた。有田町議長だった故・諸隈武さんが中心となり慰霊祭を続け、80年に陶山神社、2002年に泉山の生家前に碑を建てた。

 10年前からは井上さんが顕彰会運営を引き継いだ。井上さんは15歳で海軍飛行予科練習生になり、特攻基地で終戦を迎えている。古賀元帥は「海軍出身者たちの心のよりどころ」(関係者)だが、運営費から会場設営まで井上さんを中心にした有志のボランティア任せになっているのが現状という。

 井上さんは「このままでは顕彰活動が立ち消えになる」と危機感を募らせており、来年以降の慰霊祭開催について町に運営を引き継ぐよう要請していく考えだ。

=2018/05/20付 西日本新聞朝刊=