【激動 朝鮮半島】祖国の人権 憂う脱北者 米朝会談で議論置き去り 懸念 「誰のための平和なのか」

西日本新聞

 6月に開催される予定のトランプ米大統領と金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の米朝首脳会談は、北朝鮮の非核化に注目が集まる半面、独裁国家による人権侵害に関する議論は置き去りにされるとの懸念が米国内に広がっている。「平和」を声高に叫ぶトランプ氏が史上初の会談の成功にこだわるあまり、北朝鮮側が嫌う人権問題には深入りしない恐れがあるからだ。特に祖国を命からがら逃げ出し、今は米国で暮らす脱北者たちの危機感は強い。「圧政に苦しむ国民を救わないで、誰のための平和なのか」-。こんな問い掛けを胸に「世紀の会談」の行方を見守ろうとしている。 (ワシントン田中伸幸)

 13日、首都ワシントン郊外のキリスト教会。母の日の日曜の祈りを終えた韓国系の信者たちが、昼食を共に取りながら談笑していた。話題はおのずと北朝鮮情勢に。「期待以上に大きく動いていて楽しみだ」との声が上がると、母ハン・ソンファさん(60)と教会を訪れていた三女グレース・ジョーさん(26)は複雑な表情を見せた。「楽観ムードが高まりすぎていないか」

 ジョーさんは中国に接する北朝鮮北部の咸鏡北道生まれ。祖母を含む9人の一家は貧しく、6人きょうだいの長男はジョーさんが生まれる前に他界した。父は林業で生計を立てられず、食糧を求めて中国に渡ったところを見つかり北朝鮮に送還。当局から拷問を受け1998年に亡くなった。

 直後に生まれた三男に与えるミルクもなく、長女は食べ物を求め、やはり中国へ向かって行方不明に。母が長女を捜す間、祖母と次女は近所で助けを求めたが、そのかいなく三男は餓死。祖母も力尽きた。人身売買の被害にあったとみられる長女も戻らなかった。

 不幸が続き、涙に明け暮れた母は、近所の住民から「当局に不満を言った」と通報され一時拘束後、頭から血を流して帰ってきた。揚げ句の果てに、地元の役人から「おまえの夫は犯罪者。ここから出て行け」と告げられ同年、残った3人の子を連れ脱北を決意。弱って歩けない次男を友人に頼み込んで一時預け、ジョーさんと4歳年上の次女と中国へ渡った。次男は結局、友人宅から閉め出され、飢え死にしたという。

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 6歳の時の出来事を、感情をこらえながら切々と語るジョーさん。中国では北朝鮮への強制送還を2度経験したが、それでも脱北を果たした。2008年に米国の人道支援団体の助けを借りて、母と姉とともに難民資格を得て米国へ。現在は首都近郊で母と暮らし、歯科助手として働きながら、大学にも通う。

 ジョーさんは、脱北者支援団体の副代表としての顔も持つ。脱北支援の募金活動や、渡米してきたばかりで言葉も分からない同胞の生活支援、就職相談などに加えて、祖国での家族の体験を講演で語る。

 「私たちは政府や役人に服従させられ、人権が侵害されているという認識さえなかった」。今も抑圧され続ける国民を救うため、北朝鮮の現実を世界に伝えて変革につなげなければ、との思いが背中を押す。

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 朝鮮半島は今、激動の時代を迎えている。トランプ氏の「最大限の圧力」の結果、核・ミサイル開発を進めてきた正恩氏が非核化に向けて改心するのではないかという希望的観測が、わずかだが米国でも聞かれるようになった。

 だが、米国の関心は核問題に偏り、今も多数が飢えに苦しみ、不当な逮捕や拷問で命の危険にさらされているとされる北朝鮮国民への人権侵害は脇に追いやられている。6月の米朝会談について、国務省のナウアート報道官は「主題は非核化。人権問題が取り上げられるかは分からない」と争点外しを否定しない。

 トランプ氏自身は昨年、北朝鮮で拘束中に昏睡(こんすい)状態に陥った米国人大学生オットー・ワームビア氏が帰国直後に死亡したことについて激しく非難。今月10日には拘束されていた米国人3人を無事帰国させた。脱北者や日本人拉致被害者の家族とも面会するなど、表向きは人権侵害を重視する構えを見せている。

 ただし、対北朝鮮で融和路線の韓国、中国との連携姿勢は強まる一方だ。北朝鮮が「内政問題」と主張する人権問題に対して「最大限の圧力」で踏み込むのは難しい-。ジョーさんはこう推察し、つぶやいた。「多くの人が命を落とす根源の人権問題を切り離して平和を実現できるなんて、幻想に過ぎない」

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 もちろん、米朝会談には注目している。だが、人権問題が語られないのなら、期待などできようもない。

 それどころか、正恩氏と2度会談したポンペオ国務長官は、早期非核化によって制裁緩和や経済支援を行う可能性を示唆した。「核を持つ『怪物』に餌を与えたら、もっと大きな軍事力を持つ『巨大な怪物』になりかねないのに」と、今後の展開が不安でならない。

 「金体制は、米国とどう折り合うか抜け目なく準備をしているはずだ。トランプ氏がだまされないことを願う」。高まりつつある楽観論に警鐘を鳴らすのは、母ハンさんも同じだ。

 北朝鮮の人権問題を解決し、朝鮮半島に真の平和をもたらすには、多くの脱北者の訴えと同様、「70年続く金一族の独裁体制の転換しかない」とジョーさんは思う。北朝鮮の人々が解放される時が来たら、祖国に戻り、発展に貢献できる存在でありたい、とも願う。

 「その準備を進めておかないといけない」と語ると、表情が少しだけ和らいだ。しかし、その日がいつのことになるのか、と思いをはせた時、大きなため息が口をついて出た。

 ●「命運はトランプ氏次第」 手腕に期待と不安交錯

 北朝鮮に拘束されていた米国人大学生の死亡を受け、米社会では北朝鮮の人権問題への認識は広がったが「関心が非常に高まっているわけではない」(米人権団体)といわれる。当局の拘束下にいた米国人が全員解放された今、「米国第一主義」のトランプ大統領が北朝鮮国内の人権にどれだけ関心を示すか見通せないが、全米に200人以上いるという脱北者の中には「北朝鮮国民が救われるかどうかの命運は、トランプ氏にかかっている」と大きな期待を寄せる人もいる。

 「人権派弁護士だった韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領はなぜ4月の板門店宣言で人権問題に触れなかったのか。あり得ない判断だ」。平壌郊外出身で脱北後、米東海岸で報道関係の仕事に携わる40代男性は憤る。

 米国の市民権を得て10年近くたった今も「北朝鮮のスパイがいるかもしれない」と警戒。金正恩氏の「ほほ笑み外交」について「体制維持のためであり、核兵器を諦めるなど信じられない」と語気を強める。

 南北首脳に不信感を抱く半面、トランプ氏に対しては「これほど北朝鮮に焦点を当てた大統領はいない。『最大限の圧力』戦略は完璧で、北朝鮮に打撃を与えている」と高く評価する。

 移民に対する冷遇など、トランプ氏は人権問題への関心が低いとの指摘にも「トランプ氏は脱北者と直接会って理解している。一気にとはいかないかもしれないが、人権問題もきっと解決する」と意に介さない。

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 北朝鮮の国連代表部があるニューヨークのビル前で正恩氏を「悪魔」と叫ぶなど、過激な反北朝鮮活動で知られるマ・ヨンエさん=ニュージャージー州在住=も、トランプ氏の強硬姿勢こそが北朝鮮に変革をもたらすと信じる。

 平壌出身で1999年に脱北後、40代前半だった2004年に渡米。多くの脱北者が出身を隠して暮らすのに対し、マさんはソーセージ販売店を営みながら、公の場で北朝鮮の人権侵害を訴える活動にも取り組む。時に「殺すぞ」と匿名の電話を受けることもあるが「人権問題が解決されるまで絶対にやめない」という闘士だ。

 シンガポールで開催される米朝首脳会談が、核問題だけでなく人権問題の改善につながるチャンスになるかどうか、正直読めない。「でも、金体制を揺るがすには強力な制裁しかない。成功は全てトランプ氏の手腕次第」。会談直前には改めて街頭に立ち、人権問題が軽視されることがないよう訴えるつもりだ。

=2018/05/21付 西日本新聞朝刊=

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