帰郷待つ遺骨、壱岐へ 戦後引き揚げ中海難 朝鮮人131人分 供養続ける住民

西日本新聞

 終戦直後、朝鮮半島への引き揚げ中に玄界灘で海難事故に遭い、埼玉県の寺で保管されていた朝鮮人131人分の遺骨が、長崎県壱岐市の寺に移されることになった。もともとは当時、壱岐や同県対馬市に流れ着いたもの。供養を続ける地元住民らが「返還が実現するまで、韓国に近い壱岐で預かりたい」と働き掛け、管理する厚生労働省が決めた。31日に韓国の僧侶も参加し、壱岐の寺で受け入れの法要が行われる。

 先の大戦中に移住や徴用で日本本土に暮らしていた朝鮮人は戦後、約140万人が引き揚げたとされる。政府の輸送計画が機能していなかった当初は個人で船を手配。1945年9~10月、台風に直撃され、大勢が玄界灘で犠牲になったという。

 大半は「闇船」のため遭難の公式記録がなく、日韓国交回復後の70年代に、壱岐や対馬に遺骨があると判明。市民団体による調査をきっかけに、政府は壱岐で86柱、対馬で45柱を確認した。戦後処理の問題が日韓両国間でくすぶる中、遺骨は転々とし、対馬分は92年、壱岐分は2003年から「政府が管理しやすい」として埼玉県所沢市の寺に置かれてきた。

 厚労省は、保管先である所沢市の寺から昨年夏、納骨堂の老朽化を理由に遺骨の移動を打診された。供養を続ける壱岐市の天徳寺住職、西谷徳道さん(69)や白川博一市長(68)からは11年以降、受け入れの要望を受けており、「自治体の後押しもあるなら」と、今年に入り決めたという。

 多くの遺体が流れ着いた壱岐市の芦辺地区では、当時の模様が語り継がれている。「生き残った人がアイゴー(悲しい)と泣き叫んでいた」「赤ん坊を抱いたまま息絶えていた女性もいた」…。67年には有志が慰霊碑を建立。天徳寺では戦後間もないころから毎年10月に慰霊祭が営まれ、98年に韓国人僧侶が参加してからは、韓国の寺と交互に開かれるようになった。

 朝鮮人の遺骨を巡っては、04年の日韓首脳会談で当時の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が小泉純一郎首相に調査を求め、全国に1014柱が残ることが分かった。その後、政府間交渉は滞り、返還の見通しは立っていない。白川市長は「返還までの間、韓国から遠く離れた関東ではなく、壱岐に安置した方が犠牲者の平安につながる」と歓迎する。

 遺骨は31日から天徳寺の納骨堂に安置される。西谷住職は「帰郷を前に無念の死を遂げた人たちを弔い続けるのは、私たちの務めです」と話している。

=2018/05/28付 西日本新聞朝刊=

PR

社会 アクセスランキング

PR

注目のテーマ