引き揚げ中に海難 帰郷果たせず散った朝鮮人の遺骨を壱岐に 「帰国への第一歩」

 終戦直後、朝鮮半島へ引き揚げ途中に玄界灘で船の海難事故で亡くなった半島出身とみられる131人分の遺骨が31日、保管されていた埼玉県の寺から、海難現場に近く供養を長年続けてきた壱岐市芦辺町の天徳寺に移され、法要が営まれた。日韓両政府による遺骨返還協議は進んでいないが、同寺の西谷徳道住職(69)は「帰国への第一歩をようやく踏み出した」と語った。

 遺骨は、1976年に市民団体が壱岐で収集した86柱と、厚生労働省が83~84年に対馬で収集した45柱。国内を転々とした後、遺骨を管理する厚労省が92年以降、埼玉県所沢市の金乗院に置いていたが、日韓の僧侶などが「返還が実現するまで韓国に近い壱岐で預かりたい」と要望し、厚労省などと合意。

 遺骨を受け入れた天徳寺は戦後間もない頃から慰霊行事を行い、98年からは毎年、韓国・慶州市の水谷寺と交互に慰霊祭を営んできた。

 この日午後、厚労省の担当者が天徳寺に遺骨を届けた後、遺骨を祭壇に並べ法要を行った。双方の寺の住職や遺骨返還活動に取り組む市民団体、厚労省担当者ら約60人が参列。住職が読経し、慰霊した。

 水谷寺の孫慈嚴住職は取材に対し「韓国に近い天徳寺で供養しながら、一日も早く祖国へ戻れるよう日韓両政府に働きかけたい」と求めた。遺骨返還活動に取り組む韓国側市民団体の金英丸さんは「日本の人たちの働き掛けもあり、遺骨が壱岐に移された。日本政府は韓国政府の提案を待つだけでなく、韓国に働きかけて返還を実現してほしい。停滞している日韓関係を突破するきっかけになると思う」と期待した。

 法要で厚労省担当者は「日韓で合意に至れば速やかに返還したい。一日も早く帰国できることを願っている」とあいさつ。慰霊祭に毎年参加している壱岐市の田口唯雄さん(71)は「これで遺骨がある中で供養できるようになったが、早く韓国に返してあげるのが一番」と話していた。

=2018/06/01付 西日本新聞朝刊=

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