カンヌ是枝氏の分岐点 社会部次長 塚崎 謙太郎

西日本新聞

 もし、あの人に出会っていなければ、あの一冊を読んでいなければ…。後で振り返れば、あれが人生の分岐点だった。そう思い当たる体験はきっと誰にでもあるだろう。

 私の分岐点には1本のドキュメンタリー番組がある。学生時代、偶然見た番組をきっかけに私は記者を志した。

 1991年に放映された「しかし…福祉切り捨ての時代に」。水俣病認定訴訟の和解勧告を巡り、国側の責任者だった官僚、山内豊徳さん=福岡市出身=が良心と職責のはざまで苦悩し、自死に至った軌跡をたどっていた。事件をセンセーショナルに扱うのではなく、夫を失った妻と対話を重ね、文学青年だった山内さんが残した詩から内面に迫った丁寧な番組だった。28歳のディレクターはデビュー作となった番組の放映後も山内さん宅に1年近く通い、同名の著作を刊行した。

 彼は後に劇映画を撮り始め、世界に名をはせていく。先日、最新作「万引き家族」(8日公開)がカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞した是枝裕和さん(56)である。

 十数年前、映画の宣伝で福岡を訪れた是枝さんに初めて会った。「しかし…」の話をすると、「学生の時に見ました、て言ってくれる人、たまに会うんだよね」と喜んでくれた。以来、新作の取材や本紙文化面の連載随筆(2011年5~7月)を書いてもらうなど、幾度となくやりとりさせてもらってきた。

 そのたびに感じるのは一貫した創作姿勢だ。テーマやメッセージありきではなく、目を凝らさないと見えてこない世界のありようや人間の営み、背景にある社会構造までも描くこと。その原点は山内さん夫妻と出会ったデビュー作にある。当時、「おまえの個性や作家性はいらない」とレギュラー番組から外され、挫折を味わっていた駆け出しのディレクターにとって、紛れもない分岐点だったろう。

 ヒーローが世界や家族を救う話を好まず、「等身大の人間だけが暮らす薄汚れた世界が、ふと美しく見える瞬間を描きたい」(11年6月24日、本紙随筆)という言葉は、まさに映画「万引き家族」そのものだ。映画を見るだけでなく、本紙連載をまとめたエッセー集「歩くような速さで」(ポプラ社)、デビュー作を改稿した「雲は答えなかった」(PHP文庫)を併せて読むと、是枝さんが大切にし続けてきたものが、よりくっきりと見えてくるだろう。

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 ▼つかざき・けんたろう 福岡県久留米市出身。1993年入社。大牟田支局、長崎総局、甘木支局、社会部、文化部などを経て5月から現職。

=2018/06/06付 西日本新聞朝刊=

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