原発容認の思い複雑 玄海町の酪農家松本さん 80年代は増設反対運動で古里二分

西日本新聞

 九州電力玄海原発4号機(佐賀県玄海町)の再稼働について、立地自治体の玄海町と佐賀県は昨春、「地元同意」を表明した。原発に厳しい視線が注がれる中、16日の再稼働を後押しした形だが、かつては玄海町でも住民を二分する反対運動が起きた。国策に翻弄(ほんろう)される古里の姿を複雑な思いで見つめる人もいる。

 「原発で町内が真っ二つになり、みんな嫌な思いをした。町民は決して喜んで原発を受け入れたわけじゃない」

 玄海原発周辺の海を見下ろす高台で牧場を営む松本忠久さん(67)は、のんびりと草をはむホルスタイン牛に視線を向けながら語った。

 同原発3、4号機の増設計画が持ち上がっていた1980年代初頭、松本さんは反対運動に参加した。当時は30代前半。周辺地域の農地改良が実を結んできたころだった。

 79年には米スリーマイルアイランド原発で炉心溶融事故が起きた。反対運動は農業青年たちが主導し、「原発に絶対安全はあり得ない」と訴えた。町民の意見は大きく割れ、増設推進の町長のリコール問題に発展した。

 原発の建設計画が浮上するまで出稼ぎ者が多く、貧しい農漁村だった玄海町。米や麦を作り、乳牛を飼っていた松本さんの両親は71年に着工した1号機建設工事の日雇いで生活費を稼ぐこともあった。その後、土地改良事業が進み、農業経営が軌道に乗った多くの農家が原発に反対した。

 かつてない盛り上がりを見せたが、リコール請求は29人分足りず不成立。3、4号機の増設は決まった。「町民同士の激しい対立はもうこりごりだと、みんな賛否は言わなくなった」

 85年に着工した3、4号機建設工事には多くの農家も従事。原発関連の仕事に就く人が増えた。「徐々に原発経済にどっぷり漬かるようになった」。町勢要覧によると、75年に約54%を占めた1次産業の就業人口は、2010年には約24%に半減。逆に民宿など原発関連の業種が増え、3次産業が約57%に達した。

 福島第1原発事故が起きた後も、地元で反対運動は広がらない。松本さんも「反対運動の挫折後、長年原発の近くに住んでいると危険性にまひしてしまった。今は動かした方が良いと思う」と再稼働を容認する。

 ただ、「町民が原発マネー欲しさに再稼働に同意した」という町外からの指摘には抵抗感があるという。

 「原発の是非は国策の問題。小さな町に責任を押しつけるのはおかしい。再稼働の後も日本全体で考えるべきだ」

=2018/06/18付 西日本新聞朝刊=

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