世界遺産で測れぬ物語 長崎総局長 進藤 卓也

西日本新聞

 たこ焼きのような島だと思った。コロコロふっくらと盛り上がって。

 この島を「松露饅頭(まんじゅう)のように可愛(かわい)い」と形容した方もいる。司馬遼太郎さんである。大作家との共通の感性がうれしい。基本は同じ、粉ものであろう。

 正式名は「八ノ子島」という。長崎県西海市横瀬にある湾の入り口に浮かぶ。地図を凝視しても容易には目につかない。長崎市から西彼杵半島の北端部まで車で走ること1時間余。教科書にも載らない遠隔の地に、司馬さんは吸い寄せられて足を運んだ。16世紀、この島を目印にポルトガル船が来航したように。

 歴史をひもとこう。

 ポルトガルとの貿易港として初めて開かれたのは同じ長崎県の平戸だった。交易は順調に進んだが1561年に事件が起きる。日本人との間の喧嘩(けんか)でポルトガル人十数人もが殺傷される騒動になった。「宮の前事件」と呼ぶ。

 宣教師たちは平戸に代わる港を探した。折しも、南蛮船を積極的に受け入れようとする大名がいた。大村純忠である。純忠は62年、自領だった横瀬の地に誘致して開港。ここで受洗して日本初のキリシタン大名となる。関税は免除。周囲10キロを教会領とし、キリスト教徒の集落ができた。貿易と信仰を求めて全国から大勢の人が集まったそうだ。

 そんな栄華も2年で幕を閉じる。後嗣問題の内紛などから異母弟の軍勢が横瀬滞在中の純忠を襲った。浦々に火を放ち、ことごとく破壊し尽くしたと伝わる。

 再び追われたポルトガル人たちは巡り巡って現在の長崎市に至る。以来、この町が海外との窓口として繁栄していくのはご承知の通りだろう。

 歴史に「もし」があるならば、横瀬はキリスト教の一大拠点になっていたかもしれない地。そして、この地が今日の「長崎」になっていたかもしれない。

 潜伏キリシタンの関連資産が、世界文化遺産に登録された。横瀬は含まれていない。破壊が徹底的過ぎて信者たちは集団で長崎へ移ったため、「潜伏」という信仰形態が生まれることはなかった。

 世界遺産はあくまで一つの尺度でしかない。単眼の物差しでは評価できない貴重な物語は他にもあるのだと、横瀬は示しているかのようだ。

 当時を再現して八ノ子島には十字架が立つ。めったに観光客も訪れないが、その姿は孤高にしてすがすがしい。

    ×   ×    

 ▼しんどう・たくや 山口県下関市出身。1986年入社。社会部、水俣支局、バンコク支局などで勤務。国際部長などを経て現職。 

=2018/07/03付 西日本新聞朝刊=

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